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2006年06月10日

角に注意---目白編

[風景--landscape,cityscape ]

目白バ・ロック音楽祭」が静かに盛り上がる
目白の住宅街からお届けいたします。

注意して街を歩いていると
角に石を置くというのは割りと良くある風景ということを発見しました。
でも、ここは、石だけではありません。
石を守るかのような鉄柱がみごとです。

こちらは、そこはかとなく哀愁さえ感じられます。
哀愁の角地、というところでしょうか。
石(コンクリートの固まり)と道標と道の草が
寄り添うようにしている姿がたまりませんね。

先日の経堂編に続いて
目白編でした。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年06月10日 20:50

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コメント

fuRuさん、こんばんは。
最初の写真って、最初は「石」だけだっのに、心細くなったり事故があったり
して、やはり「鉄柱」というのことになったのでしょうかね〜?おまけに、目立
つように白いペンキまでぬってありますね。「鉄柱」をたてたから、「石」は撤
去しようとはならないのですね。重いし、おき場所にも困るかな・・・。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年06月11日 22:59

わきたさん こんにちは
この鉄柱についてはいろいろ考えるのですが
謎は多いです。
まずは、この鉄柱を立てるには、それなりの深さの穴を掘らないといけない。
でも、その穴を掘るにはこの石が邪魔。
あとから、石を置いたのだったら、もっと変ですよね。
謎です。

投稿者 fuRu : 2006年06月12日 09:27

fuRuさん、こんにちは。
関西だったら、この石がお地蔵様だったりするんですけどね。
いっそ、お地蔵様にしてしまうほうが、町のためによいと思い
ます(^0^)(お世話はきちんとしないといけませんが)。お地蔵
様は、地域の子どもたちの健やかな成長を見守ってくださる
わけですから、このような見通しの悪い場所で車から子ども
を守るためにも、うってつけのように気がしますよ。
ところで、この石の持ち主は、こちらのお宅の方なのでしょう
か?

投稿者 わきた・けんいち : 2006年06月12日 10:52

この石が誰のものか?
たぶん、このお宅の方が置かれたんだと思います。
角地に家を建てる場合には、隅切りと言って、角の部分の一部を道路として提供することが義務付けられています。
細かい話をするといろいろなケースがあるんですが、ともかくそういうことが法律にあるわけですね。
道路として提供した場合には、当然、そこに私有物を置いてはいけないわけです。
と言うわけで、話はいろいろやっかいです。

ところで、隅切りでお地蔵さまを移動しなくちゃいけなくなった場合は大変ですね。
お地蔵さまを移動したばっかりに、悪いことが立て続けに起こっちゃたりしたら、誰を恨めば良いんですかね。
そういうときに適用できる特別な緩和策があったりなんかして。

投稿者 fuRu : 2006年06月12日 11:15

これは「石敢当」のようですね・・・。
T字路の突き当たりに
魔よけとして置くのですが、車には効力がないようですね。

投稿者 伊礼智 : 2006年06月12日 12:34

伊礼さん こんにちは
さっそく「石敢当」を調べると、沖縄に多い石の守り神とありました。
http://www.genbu.net/tisiki/robou3.htm
でも、お地蔵さまと同様、「石敢当」が隅切り、あるいは2項道路のセットバックに引っかかっちゃたらどうするんでしょうね。
やはり、お払いをして移動していただくんでしょうね。

投稿者 fuRu : 2006年06月12日 12:52

fuRuさん、伊礼さん、こんにちは。
そうですか、角地は提供することが義務付けられているのですか。
でも、塀を壊されたらいやだから、提供した人は石をどんと置くと
いうわけですか。ということは、これは法律違反になっちゃったり
するんでしょうね。難しいですね。これは建築とは関係ないので
しょうが、町に昔からあるお地蔵様のある場所って、所有者はど
うなっているのでしょうかね。なんだか微妙な感じのものがたくさ
んありますよね。必ずしも私有地に祀られているようにも思えない
のですが・・・。私としては、法律と人びとの日々の生活から生み
出される現実とのあいだに、ズレがあったほうが現象としては興
味深いのです。言い方をかえれば、両義的な曖昧な場所があっ
たほうがよい・・・とでもいいますか。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年06月12日 17:16

わきたさん もう少し上の写真について解説しますと
隅切りした位置に塀が立っています。
と言うわけで、基本的に、このお宅は合法です。
そう考えると、
石は、ひょっとすると町内会の会合で置くことが決まったのかもしれません。ただの想像に過ぎませんが。

両義的な場所というのは豊かさの根源だったと思います。
過去形なのが悲しい点であります。
つまり、戦後の囲い込み運動以降、それぞれが自分の土地だけ管理するというふうに変わってきてしまっているので
両義的な場所=荒れ放題の場所、みたいになっちゃっているのが、あまりにも多いですよね。これはとっても悲しいですね。そして、荒れ放題なら一気にまとめて再開発、という図式に流れ込んでしまうのも、なんともです。そこには、両義的なグレーゾーンを認めないという、脅迫的な病理さえ感じてしまいます。こんなことを書いていて、これはきっと現代という時代が背負っている病なんだと思いました。根は深いですね。

投稿者 fuRu : 2006年06月12日 17:29

fuRuさん。石は、違法であろうと、このお宅の方か、関係者の方が、塀を壊されてはかなわないと、石を置かれたのかなと想像していました。両義的って、玉井さんのMy Placeの思想であり、伊礼さんの屏風(ヒンプン)理論ですね。fuRuさんご自身、なにか言葉でそのあたりのことを表現されていますか?

投稿者 わきた・けんいち : 2006年06月13日 00:26

わきたさん 残念ながら僕にはまだそれに当てはまる象徴的な言葉はありません。
たとえば、一軒の家を設計するときに、外に対してどのように開くのかは
そこに住む人の生活から描き出します。ですから、10件10色。つまりは、ひとつの手法によっていない。さらには、それを抽象化する言葉もまだ見つけていない、ということです。
現実問題としては、外との距離がうまくとれないことが多いので、まずは閉じてからどこを開くのか、と言う発想になりがちです。外との距離がうまくとれないのは、一物件あたりの敷地がとても狭いという物理的な条件によっています。それから、お隣さんとの境界について、やはりみなさん、ずいぶんとナーヴァスになっていると言う心理的背景もあります。
それ故に、玉井さんの「MyPlace」や伊礼さんの「ヒンプン」という考えが浮き彫りにされるのですよね。
僕も、一度その辺のことを自分なりにまとめておく時期に来ているのかもしれません。

投稿者 fuRu : 2006年06月13日 09:12

fuRuさん、こんばんは。もし、「一度その辺のことを自分なりにまとめておく」べきことがまとまったら、ぜひ拝読させてください。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年06月13日 23:14

先日、角切りした家を設計したのですが、その角には何もしませんでした。
角にあった電柱も移設してもらいました・・・そうしたら「なんにもない町角」ができて(おかしな表現ですが)、
なんだか、昔の原っぱのような場所ができたのです・・・妙な場所なんです。
近所の人、通学路なので子供たちが遠慮なく入ってきます。

投稿者 伊礼智 : 2006年06月15日 14:12

伊礼さん、あの家ですね。
あのセットバックした空間は不思議であり
あのスペースは、通るひとをほっとさせますね。
街に対して、一軒の家を設計することで何が出来るかということを
いろいろ考えさせてもらいました。
あそこに石なんか置いちゃあ台無しですよね。

投稿者 fuRu : 2006年06月15日 14:21