« ジム・ジャームッシュ / アーリー・コレクション | メイン | めりー・くりすます »

2006年12月23日

「yoshiwara_curve」と「yoshiwara_plate」@御免状ミニダイブ

[風景--landscape,cityscape ]

今日はiGaさんmasaさんの企画による「吉原御免状ミニダイブ」に混ぜていただいて、吉原を散策してきました。

今回のダイブですが、事の起こりはいくつかあって、玉井さんが「吉原御免状」という時代小説を「MyPlace」にエントリーされて、それが人々の関心に触れ、私も先達に続いて読破。実は、先日の第四回アースダイビングで、吉原界隈も覗いてみる予定だったのが、とっぷり日も暮れて適わずじまいで、くすぶる不満の種も年を越さないうちに消化してしまおうとiGaさんが考えてくださったのかどうかはわかりませんが、クリスマス前のリベンジ企画とあいなったわけであります。
年の瀬ということもあってでしょう、参加者は、iGaさんにmasaさんの他は、吉松長老カークさん、そして私というミニダイブとなりました。

最初の写真は、見返り柳から吉原大門への道です。
昔、昔からこのように大きく湾曲していたわけで、iGaさんが用意してくださった昔の地図にもはっきりと出ています。


(この地図の画像はmasaさんよりいただきました、感謝です。)

吉原は碁盤の目状に整然と計画されたひとつの独立した街と言ってもいい場所で
「吉原御免状」では「城」という表現も出てきます。
その入り口にあたる大門へのアプローチは、いわゆる大通りからの視線を避けるかたちで、このようなカーブをなしたそうです。そこには吉原独自の精神の力学が働いていると思います。そして、その力学が時代を超えてこうして生きていることが、なんとも驚きです。

さらに、もうひとつ我々を驚かせたものがあります。
それは地図ではよくわからなかったことです。
今回、我々は、吉原を取り囲んでいた「お歯黒どぶ」と呼ばれるお堀を一周めぐってきました。もちろん堀はずいぶん昔に埋め立てられてはいるのですが、歩いてみれば、なんと「吉原」にあたるエリアが、その周辺のエリアから一段高い四角い形の台地状になっているではありませんか。つまり、どぶの跡にそってひな壇のように吉原が持ち上がったかたちになっている。これは、吉原が周辺の田んぼから一段高く土を盛って作られたことの名残が今なお生きているということなんです。そして、それを生かしている(死なない)精神の力学がそこにはある、ということなんです。

その段差はたとえば

あるいは

こんな感じです。
すごい力ですよね。

「アースダイバー」では、
縄文期からの地形に人間がある種の恐れを抱いて関わってきたということになるのですが、
今回のような場合は、もっと人間よりの場所の力を感じさせていただきました。
とても刺激的な企画に感謝であります。

<蛇足-1>
masaさんごのみの赤さびたとたんの壁を発見。
皆でこぞって写真を撮ろうとしたら
「どなたさまでしょうか?」と問いただす声。
なんと、その赤さび壁の手前の土地(空き地)の持ち主さん。
「こういう古いのが好きなの。そうねえ、私の土地に建っていたのはそれがそれは素晴らしい建物だったのよ。一週間前に壊しちゃったのよ。」その奥様、鞄から写真を一枚。解体の時に地下に防空壕があったのが見つかったのだそうだ。コンクリートで頑丈そうに作られた防空壕の写真。歴史と時間が交差する一時。

<蛇足-2>
耳の遠いおばあちゃんが、生き生きと自分の父から聞いたという吉原の話を聞かせてくれました。
ほんと、生き生きと、表情まで語るうちにどんどん豊かになって、目の前に吉原の風景が広がって見えるようでした。

吉原御免状ミニダイブ(MADCONNECTION)
吉原御免状ミニダイブ(Kai-Wai 散策)
Kai-Wai 散策のmasaさんの記事では、私が勝手に「yoshiwara_plate」と呼んだ台地状の地形(?)が3D化されたCGで見ることが出来ます。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年12月23日 22:30

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://af-site.sub.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1095

コメント

fuRuさん、おはようございます。
ずいぶん、充実したミニ・ダイブだったようですね~。
やはり歩いてみないと、土地の人に話しを聞いてみ
ないとわからないことが、いろいろありますね~。
文字に書かれた大文字の「歴史」とは異なる、土地
に刻まれ、人びとの記憶と身体に刻まれた小文字の
「歴史」を積み重ねていくことで浮かび上がってくる世
界を実感できる、大変明快なご報告で、拝読する側と
してもスッキリいたしました。
ありがとうございました。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年12月24日 08:38

どーも、昨日はお疲れさんでした。
あの後、今戸橋まで歩き、大川を確認、その後千住道から山谷に入り、総勢四名(内下戸二名)で「大林」にて打上をして帰りました。

投稿者 iGa : 2006年12月24日 08:49

おはようございます。実は私達も「吉原御免状」を読み終わった後にあの地図が気になり、銀座の伊兵衛さんを観に行く前に遠回りをして、吉原大門とお歯黒どぶ跡を見学しに行っておりました。といっても通り過ぎるといった感じでしたので、一段高い小さな台地状になっていることは気がつきませんでした。なるほどです!うーん、奥が深いですね。しかしお堀跡の内と外では明らかに雰囲気が違っているのはヒシっと感じました。真昼なのに娘は何かの磁気を感じるのか、お堀内を通ろうとすると大泣きでしたから....ま、親子であの界隈をウロウロしている方が可笑しいのですが(^^;
しかし、なにか目には見えない別世界への入口へと繋がっているのかも知れませんね〜。深いです。

投稿者 yukiりん : 2006年12月24日 10:24

わきたさん
何とも密度の濃い3時間あまりでした。
吉原が一段上がっているのに気づいたときは皆で興奮。
もうひとつ、18禁の喫茶店を生まれて初めて見ました。
こちらもいろいろ想像してしまって「興奮」でした。
こちらについては、もし、気になるようでしたらオフレコでお伝えします。

投稿者 fuRu : 2006年12月24日 10:59

iGaさん
昨日はどうもありがとうございました。
やっぱり、大林でしたか。
事前に地図を見ていたら、あれ、近いんだなあ、と思っていたので
参加人数とメンバーによっては大林になだれ込むのもありかなと思っていました。
それにしても、面白い企画、ありがとうございました。

投稿者 fuRu : 2006年12月24日 11:03

yukiりんさま
LGご夫妻さま
何となく、参加されるのかなと勝手に想像していたのですが、
うーん、ああああ、いやいや、それそれ、どうしたどうした、でででで、
というわけで、ものすごく密度の高い、でもミニなダイブでした。
それにしても、あのあたりは、テンションが高いですよね。
大門と反対側の吉原神社を越えたところにある
吉原弁財天、何となくですが、スピリチュアルなものを感じましたですよ。
吉原弁財天は、関東大震災の時に火事に見舞われた吉原から逃げそこねて、あまりの熱さに池やお歯黒どぶに飛び込んでなくなられた方々を奉っているところだったと思います。

投稿者 fuRu : 2006年12月24日 11:17

fuRuさん、吉原の18禁の喫茶店ですか!
それは、おじさんたちで入るお店ではないのでしょうね。
だから、「はいった」のでなはなくて「みた」ということな
のか(^_-)-☆。そうですか、「興奮」されましたか。
だったら、オフレコで教えてください・・・ヒソヒソ。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年12月24日 11:27

わきたさん
それはですね、こそこそこそ・・・・。
masaさんと、吉原のシステムは時代が変わり、名前も変わっても
そのまんま残っているんですねえ、と、盛り上がっていました。
人って、あんがい変わらないものなんでしょうね。
いやいや、そういう変わらないものを見つけて社会学的に考察することが大切なんですよね。

投稿者 fuRu : 2006年12月24日 11:30

いや、出遅れました~。盛り上がっていますね~(吉原地形ではありません与(^^;)。実は、事前に、カシミールで吉原を表示させてみると、そこだけが1段高くなっているのが分かりまして、もしや…と思っていました。が、ああまでハッキリと段差が見えるものとは思ってもいませんでしたので、あのハッキリ段差を目にしたときは、本当に驚いてしまいました。なんだか生々しかったですね。ああいう体験をしますと、吉原って、ついこのあいだのこと…という気がしてきますね。
それにしても、お忙しいなか、ご一緒していただき、ありがとうございました。ほんとにこのミニダイブは充実感いっぱいです。

投稿者 masa : 2006年12月24日 14:07

masaさん
吉原台地はカシミールではっきり見えていたんですね。
それを聞くと、ますます驚きがまします。
吉原御免状を読んで、吉原のなんと言いますか気概とでもいうような強さと美しさをとても魅力的に感じていたものですから、御免状ダイブをやるという話を聞いたときから、これは是参加しなくてはと強く思っていました。その思いは正解だったようですね。あのおばあちゃんが語ってくれた世界は、まさにそうした吉原の魅力をリアルに表現してくれていたと思います。

投稿者 fuRu : 2006年12月24日 16:58

超出遅れですみませ〜ん。吉原は今も独特のオーラを感じましたね。
「城」でしょうか、未だに街が独立しているかの如く、上手く表現できませんが川崎や横浜とは全く違いますね。

投稿者 カーク : 2006年12月24日 23:11

>fuRuさん
こんばんわ。吉原プレートとの出会いもショックでしたが、あのおばあちゃんの口から発せられる「吉原」や「大門」などという、僕は本でしか目にしたことのない単語が、いかにも現在進行形であることに衝撃を覚えました。吉原は生きてるな~と…。あれは大きな収穫でしたね。

投稿者 masa : 2006年12月25日 02:23

カークさん
お疲れ様でした。
そうですよね、その他の夜の街とは、やはり、その空気がそもそも違っていましたよね。
もちろん、石けんの匂いがするという、どなたかのご指摘とは違う話ですが。(^^;)

投稿者 fuRu : 2006年12月25日 09:41

masaさん
>吉原は生きてるな~と
まさにmasaさん、そのとおりですよね。
場所が生きている、そういうことを深く感じましたですよ。
うーん、うなってばかりだァ。

投稿者 fuRu : 2006年12月25日 09:50

そうか、石けんの匂いでしたかと、ハッと我に返りました(冗談です)。

投稿者 カーク : 2006年12月25日 10:43

カークさん
思いとどまりましたけれども、あの喫茶店には入ってみたかったような気がしますね。(^^;)

投稿者 fuRu : 2006年12月25日 10:47

fuRuさん ぼくは出遅れどころか出そこなってしまいました。段差や喫茶店はいつでも見られるけれど、おばあちゃんの話は、べつの機会にいっても巡り会えないでしょう。それがいちばんうらやましい。LOVEGARDENの親子づれの吉原横目探検は、なんだか妙にほほえましいですね。こどもには、おとなにはなくなってしまった能力がありそうです、たしかに。

投稿者 玉井一匡 : 2006年12月25日 18:38

火付け役の玉井さんがおられなくてとても残念でした。
masaさんの柔らかな物腰に
最初は怪訝な顔のおばあちゃんも、どんどん生き生きとしてくる様は、まさにmasaマジックですね。

投稿者 fuRu : 2006年12月25日 19:58