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2007年04月26日

「住宅の射程」---藤森照信の「分離派問題」

[a-家づくりについて---house_making ,books ]

「住宅の射程」
著:磯崎新、藤森照信、安藤忠雄、伊藤豊雄 発行:TOTO出版
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4人の講演を収録した本書の中から磯崎新の「住宅は建築か」と
藤森照信の「分離派問題」が興味深く刺激的でした。
今回は藤森照信の講演について論旨をクリップしておきます。

建築史の世界で、特に日本の場合、「分離派」というと堀口捨己らが1920年に結成したグループのことになりますが、ここでいう「分離派」はそれとは全く関係ありません。

名付け親は「トマソン」や「老人力」の名付け親でもある赤瀬川原平。
赤瀬川氏がある日、屋上から東京の街を見ているときに

子供の頃、自分んちには勉強部屋も階段もないのが悔しかった。でも大人になって。自分んちの居間が三丁目にあって、階段が街はずれにあって、便所が隣町にあってもいいんじゃないかと思い始めた

と藤森氏に言ったそうです。

そして、

家の機能が街の中にバラバラにちらばっていて、みんなが街をザワザワ移動しながら暮らしていると面白い。

とつづけ、そうした住宅を赤瀬川氏は「分離派」と名付けました。

藤森氏は、そのバラバラ感に現代の住宅に現れてきている一つの流れをみたのですね。

「分離派」とは「バラバラ派」と言っても良いかもしれません。

藤森氏は講演の中で具体的な例をいくつか挙げていますが、
これらに共通しているのは
家族、あるいはそこに住む人たちのそれぞれの距離が、たくみに形として表現されていることでしょうか。
そこには、バラバラになった家族が表現されていると思います。
バラバラになった家族なんて言うと、あまり良い印象はないですね。
言葉を変えれば、家族それぞれが程よい距離をもって暮らせるその距離感が
「バラバラ」の実態だと理解していただければと思います。

わが家では日曜日に「サザエさん」を見ていますが、このところ雰囲気が変わってきていると感じています。特に、特集で昔放映された番組の再放送を見るとその違いははっきりします。それは、お父さんである波平さんの存在が、以前よりも相対的になっている、つまり、絶対的な存在だったものが少し相対的になってきているということです。
「サザエさん」は波平の絶対的な存在を中心としてあったはずなのに、その中心が力を失い、散漫になってきている感じとでも言いましょうか。
逆に言えば、絶対的なお父さんとしての波平さんにリアリティがなくなってきていると言うことなんだと思います。
「サザエさん」の中でも、家族は求心的な場所ではなくバラバラな場所になりつつあります。

住宅の設計では「家族」のことが第一にあるのですが
その家族のあり方を考えるときに
「分離派」というキーワードは、今とても重要になってきていると感じています。
それは、家族同士の程よい距離を形にしてゆくことが設計であり
我々設計者の役割であるからです。
そして、「分離派」が重要なのは
それが、さまざまな家族のあり方をステレオタイプ的に画一したものとしてとらえず
自由なものとして形にしてゆく精神の現れであるからであり、
同時にそれを実現することが、今の我々に求められていることだからなのです。

<蛇足>
この記事は大幅に書き換える可能性があります。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2007年04月26日 13:50

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