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2007年10月04日

City Of Glass----Paul Auster(by柴田元幸)

[books ]

Coyote No.21」に柴田元幸訳の「City Of Glass」が全文掲載されています。
オースターといえば柴田訳と定着しているように思えますが、唯一この「City Of Glass」だけが他の方の訳になっていまして、その顛末については柴田氏自身がこの雑誌の記事でふれています。
それはともかく、柴田訳のオースターフアンとしては、嬉しい限りなのでありまして、大判の雑誌にも関わらず通勤電車の中で広げて読み始めました。
<以下、小説の内容にふれます>

名前。言葉。物語。記憶。存在。

我々は言葉を使って物事を伝えています。
しかし、その言葉というものは言葉が指し示す対象と一心同体ではなく
離ればなれになっていること、つまりは、一方にとっての他方の不在(目の前にない)によって成り立っています。
私たちはここにないものを指し示す言葉を身につけ言葉による世界を構築し、それによりコミュニケーションを成立させてきました。言い方を変えると、我々が言葉を使うということはリアルな実世界とのズレの中で生きていることだと言えます。
そこで、世界にはズレのない原理としての言葉があるはずだという考えを持つ者が現れます。人間は、そうした原理としての神の言葉を生まれながらに持っているものだと。とすれば、生まれてすぐに後天的に言葉を学習しなければ、神の言葉を語るようになるはずだ、と。
それを実践したのがピーター・スティルマン。自分の息子のピーター・スティルマン(同姓同名の親子)を2歳半で幽閉しました。自分の息子が神の言葉を話すことを待つために。

9年後、ピーター・スティルマンは開放され親子は離ればなれになります。
ピーター・スティルマンは言葉に障害を抱えながら、13年をかけて言葉でのコミュニケーションを身につけてきました。未だに言葉の世界と実世界の不整合に悩まされながら。

そして今、父親からの一通の手紙がピーター・スティルマンの元に届きます。
息子の住むニューヨークにやってくると。

常軌を逸した父親です。今度あったら何をされるかわからない。ピーター・スティルマンとその妻は探偵を雇い、ニューヨークにやってきた父親の動向を探らせようとしたのです。

しかし、彼らが探し出したポール・オースターは探偵ではありませんでした。おまけに、電話線が混線し、オースターにかけたと思っていた電話はクインという物書きのところに通じたのでした。

物語はここから始まります。

ニューヨークにたどり着いたステルマン氏は、毎日路上のゴミを拾い、まちを歩き回ります。その歩いた軌跡を地図でなぞると文字が現れることにクイン(オースターになりすました)が気づきます。そこで、クインは意を決してステルマン氏に接触、直接話を聞くことにしました。ステルマン氏は使われなくなったゴミ(意味を無くしたモノ)に新たな名前を付けている(意味を与えている)と説明します。その地道な作業から、まったく新しい言葉の世界をつくりあげるというのです。
ところが、そのステルマン氏も、すぐに姿を消し、調査を依頼したピーター・スティルマンも連絡が取れなくなります。クインは実在するオースター氏を捜し出し、今までのことを告白しますが、なんの解決にもなりません。
そして、クインは蛻の殻になったピーター・スティルマンの部屋で赤いノートに言葉を書き留めながら消えてしまいます。

クインのことが心配になったオースターはピーター・スティルマンの部屋で赤いノートを発見。この話はその赤いノートの記述を出来るだけ正確に再現したものなのです。

話の骨格だけを書きつづればこのようになりますが、この小説のおもしろさは、そうした要約できるような「物語」のなかにはありません。言葉と言葉で作り出された構造が面白いのです。要約できるような「物語」とは何も生み出していない過去の模写でしかないでしょう。物語を語るということはそうではないと言うこと。そこには、言葉はどうしてあるのか、物語はどうしてあるのか、言葉のための言葉、物語のための物語、そして、我々はどうしてここにいるのかという、一見、トートロジーに陥りがちな袋小路を、縦横無尽に切り返す自由な精神があふれているのです。それは、ともするとナンセンスと一掃されてしまう危険性を持っていますが、オースターはそこに生命の息吹を吹き込むマジックを持って「ナンセンス」に対抗しています。

今回、柴田元幸さんの訳で再読して、この小説の魅力を発見できたと思います。
この柴田訳はオースター入門にも格好の一冊だと思います。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2007年10月04日 09:30

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コメント

あ、そうそう僕もこれ買おうと思ってました。ポール・オースター大好きです。
最近新刊が出たらしいのでこれと一緒に購入しよう。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4474

投稿者 スナフキン : 2007年10月04日 14:52

スナフキン さま
おおおおっ!
オースターファンでしたか。嬉しいですねえ。
この「City of Glass」の柴田訳は良いですよ。
ぜひ、読んでください。
サイズが大きいのが玉に瑕ですけれどもね。

オースターは最新刊がでても原文では読めないのが悲しいですね。(x_x)ゞ

投稿者 fuRu : 2007年10月04日 16:25

すみません。実は私、オースターに限らず英語圏の小説は基本的に原書で読む派なんです。柴田元幸さんの訳はすごく評価が高いのでいつか読んでみたいと思っていたのですが、どうも自分の中で英語のイメージが出来ているので読む気になれないでいたのですが、City of Glassは久しく読んでいないのでこの機会に読んでみようと思った次第です。
Amazon最新刊と共に発注しました。

投稿者 スナフキン : 2007年10月05日 00:05

スナフキンさま
うーん、語学に堪能な方はうらやましいです。(^_^;)

是非、柴田さん訳の感想をお聞かせ下さい。

投稿者 fuRu : 2007年10月05日 00:21