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2007年11月28日

「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」---村上春樹

[a-家づくりについて---house_making ,books ]

「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」
著:村上春樹 発行:平凡社
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最近、ほぼ同年代の建築家の仲間と出会う機会が多くて
それらの方々の少なくない人たちが、こぞって「アイラ」と口にされます。
建築設計者にはシングルモルトのフアンが多いのでしょうか。
あるいは偶然か。
しかし、こうあちこちで「アイラ」「アイラ」と聞くと、とっても気になってきます。
そういえば、もう何年も前に村上春樹がウイスキーのことを書いていたエッセイを買って読んだことを思い出し、書棚から引っ張り出してきました。
奥付を見ると1999年。うわーっ、8年も前でした。
書店に並んですぐに買った本ですが、はずかしながら当時はウイスキーに興味もなく本の内容もまったくといって覚えていません。というわけで、再読。

そんなことで、興味あふれるシングルモルトウィスキーをもっと知りたいと
建築家の長浜さんや荒木さんに、シングルモルトウィスキーを楽しめるところに連れていって欲しいとお願いしていたら、昨日の家づくりの会の忘年会(?)の後で連れていっていただくことが出来ました。
高田馬場のお店で私が初体験した「アイラ」は「ラフロイグ」の10年もの。身体に入れると不思議な香りが染み込んでゆく今までにない体験。身体の中にウィスキーの妖精を仕舞い込んだような感じ。キット、これが病みつきになる魅力なんでしょうね。

というわけで、村上春樹の本に戻りましょう。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きてゆくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうのウィスキーになることがある。そして僕らは----少なくとも僕はということだけれど---いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。(前書きのようなものとして)

この本で私は、いわゆる「スコッチ」というのはブレンドされたウィスキーであることを知り、「アイラ」のなかでも「ボウモア」や「ラフロイグ」の名前に興味を持ち、今度飲んでみようかと思います。
しかし、それにもまして、この前書きのようなもので語られていることに、深く共鳴している自分を発見したのでした。

たとえば、私が、このブログで音楽のことを書くのは、それがことばではないからです。つまりは、言葉に出来ないものを表現している音楽をことばで語ろうとしているのです。これは、つまりは、我々のコミュニケーションの手段としてもっとも一般的に共有されるのがことばであり、そのことばを使ってことばで表現できないものを伝えることがとても大切だと考えているからなのです。

私が音楽について書いたものをとても興味を持って読んでくださる方もいて、ブログの記事にコメントはされないのですが直接お会いしたときに感想などを話してくれるのはとても嬉しいです。そして、その時に言われるのは「よく書くねえ」という一言。それは、そんなことを書いている時間がよくあるなあ、ということなんですが、私にしてみればこれは自分のためのトレーニングにすぎないのです。

つまりは、私の仕事は建築の設計です。設計というのは技術的な裏付けをとるということも大切なのですが、未だ完成していないものについて語らねばなりません。あるいは、形なきものを、ことばをヒントとしてつかみ取らねばなりません。どちらにしても、普段ことばで表現できないものをことばにすることが必要になってくるのです。その時に、我々のことばがある一線を飛び越えて、ことばならざるものを言い表すことがあるのだということを信じなければ、我々の作業は宙に浮かんで足をバタバタさせもがき苦しむことになります。

ことばを信じること。そして、信じるに足ることばを使えるようになること、そのためには絶えずことばを意識していなくてはならないと私は考えています。私は、そのために明日も音楽のこと、アートのこと、そして建築のことについて書いてみようと試みるのです。

このブログがすでに3年半も続いているのは、そうした気持ちでいるからなのだと思います。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2007年11月28日 10:00

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コメント

残念ながらボウモアもラフロイグも、この国の某大手企業に買われてしまい、特にボウモアはかつての強力な個性がすっかり薄まって口当たりのよいものになったと、店に置くのをやめたバーもいくつか知っています。

それでもその土地の、土や水や風の薫りさえも味あわせてくれるかのような良質のウィスキーの魅力は何ものにも代えがたいものですよね。

そんな言葉を語れる瞬間が、時として自分にも訪れるゆえにこそ日々前を向いていられるのだなぁと思うことしきりです。

投稿者 眼谷猪三郎 : 2007年11月28日 12:23

眼谷猪三郎 さま
村上春樹がこのエッセイの中で
その土地に行って飲まなければダメだと書いていたのを思いだしました。
日本酒もそうですが、全国区(ワールドワイド)になってしまうと、その独特の個性が薄れてしまうのでしょうね。また、その利権を得るがために買収する企業も企業ですね。
地域性が大切な時代ですから、本当の意味で地域性を大切にして欲しいと切に願います。
これは住まいも同じなんですよ。

投稿者 fuRu : 2007年11月28日 13:37

>これは住まいも同じなんですよ。

よくわかります。

その土地の気候で育った木を使って住まいを作ること、そんな当たり前でしかも理にかなったことを、忘れずにいてくれる設計者さんや職人がまだいてくれるのは心強いばかりです。

投稿者 眼谷猪三郎 : 2007年11月28日 15:42

私もこの本、新潮文庫で持っています。
もう10年以上前、仲の良い友人がシングルモルト好きで、この本は彼が薦めてくれました。

その友人に、何かの折にプレゼントされたのが「LAGAVULIN/ラガヴーリン」
ウイスキーってこういうものもあるんだなと、視界が開けた覚えがあります。

似たようなことは他にもいろいろありますよね。
私は似たような感動を、紅茶でも感じました。
ほんの少しだけ高級な紅茶、ダージリンのファーストフラッシュなどを、
知らない人にはぜひ試してもらいたいと思うのです。

醤油なんかでも、地域性が出ますよね。
知らないでいると、全国区の味が基準になっている。

知っている人にとっては、もったいないと思うものかもしれないですけれど、
いまや地域にこだわるのも、ちょっとした贅沢なのかもしれません。

投稿者 Tomy : 2007年11月28日 16:22

眼谷猪三郎 さま

>その土地の気候で育った木を使って住まいを作ること、そんな当たり前でしかも理にかなったことを、忘れずにいてくれる設計者さんや職人がまだいてくれるのは心強いばかりです。

そんな一人に私もなりたいと、強く思います。

投稿者 fuRu : 2007年11月28日 23:44

Tomyさま
現代社会の流通はとてつもなくすごいことになっています。
三陸沖で朝とれた新鮮な魚がその日のうちに銀座に料亭に並ぶのですから。
そうした流通に裏付けられて、私たちは、いま自分がどこにいるのかを気にしないでよくなっているのですね。それが良いことなのかどうなのか。
一方で、気仙沼で食べた、ついさっき海からあがってきた、まだ生きているウニのおいしさは決して銀座には届かないと思いました。
結局は、我々の感じ方ひとつなのかもしれませんが、地域性にあふれた様々な味覚や風景が、画一化されるのではなくおたがいに認め合うような文化が豊かな文化だと思う私にとっては、画一化の方向性は文化の貧困にしか思えないのも事実です。

投稿者 fuRu : 2007年11月28日 23:51

オイラも仕事がら、アイラ、アイラと耳にします(^^;
僕もアイラモルトファンの1人ですが、モルト好きの中でアイラモルトファンはかなり多いようです。
ウィスキーといえば、南米パラグアイを舞台にした「ウィスキー」という映画を見ました。「はい、チーズ」な意味なんですが、ご家族で写真に写る時には是非使ってみて下さい。
「はい、みんなで!ウィスキーーー!」カッシャ。

投稿者 nOz : 2007年11月29日 01:19

nOz さま
やはり、kara-karaでもアイラなんですね。
先日飲んだ「ラフロイグ」10年ですが
癖がかなりあるなあ、ちょっときついなあ、と思って飲んでいたのに
いまでは懐かしい感じがしていて、もう一度飲んでみたいという思いに駆られています。
アイラのシングルモルトは、不思議な飲み物です。

それにしても、「ウィスキー」という映画、面白そうですね。

投稿者 fuRu : 2007年11月29日 14:52