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2008年01月18日

「第三の脳」---傳田三洋

[a-家づくりについて---house_making ,books ]

「第三の脳」
著:傳田三洋 出版:朝日出版社
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自分の身体の皮膚から1mmくらい、全身を薄い膜が覆っていて、その膜がアンテナのように周囲の様子を感じているような、そういう身体のイメージが、私には昔からあったのです。
言い方を変えると、ちょっとオカルトチックな感じにも受け取られかねないことなので、今まであんまり口にしたこともなかったのですが、この本を読んで、なるほどこういうことだったのだ、と納得してしまいました。

「第三の脳」とは「皮膚」のことなのです。

建築家の玉井一匡さんのブログでこの本が紹介された時、ちょうど私は建築家の中村好文さんのお話を聞いてきた直後で、建築における触ることの大切さについて考えていた時でした。

写真で見る中村好文さんの建築には「触れたい」という思いを喚起させる力が潜んでいます。これは今まで取り上げられることの少なかった「建築の力」だと思います。そして、かねてから空間の認識には視覚だけでは理解出来ない部分があると感じていた私は、建築における「触れる」という感覚にその秘密が隠されているのではと思ったのです。

ところが、その「触れる」ということを重視しすぎるのもバランスが悪いのではとも思います。
それはイメージで言うと、こういうのに近いかもしれません。

これは本書にも引用されていますが、ペンフィールドのホムンクルス。大脳感覚野の分布から身体を視覚的に再構成したものです。手が大きいことが印象的です。
確かに、人間の生活では「手」はとても大切ですね。
それはそれで、事実として受け入れられるのですが、やはり、このホムンクルスの身体はバランスが良いとは言えない感じがするのです。

この本を読んでいて、もっともっと全身がまんべんなく感覚の受容体になっている「身体」というものがあるのだと思いました。そのキーワードが「皮膚」です。「皮膚」全体が外的環境の受容体であるのです。そして、「皮膚」への意識をもつことで、あのバランスの悪いホムンクルスも、少しはまともな身体を持つことが出来るのではないでしょうか。

私が建築を生業にしたのは「空間」をつくり出すことが好きだったからです。
私にとって「空間」とは、見た目のカッコ良さもさることながら、なにか身体全体で感じる場の力と言うようなものなのです。そうした心地よい空間をいくつも体験してきました。それは実に感動的な体験でした。そして、私は自分でも身体全体で感じることの出来る心地よさを実現したいと考えています。心地よい空間の探求が私の課題です。その時、この本で触れられている「皮膚」から発想する認識論のようなものはとても大切なことであると考えるのです。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2008年01月18日 08:30

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コメント

furukawaさま

この本の存在は知りませんでした。しかし、皮膚感覚は何となく解る気がします。そして、最近富に低下していることも!
古川さんの感覚と少しズレルのかも知れませんが、最近言われる「KY」なる現象も皮膚感覚の低下がなせる仕業でしょうか?

私は自転車通勤ですが、一昔前に比べて「MM」な人々が増えた気がします。M=前をM=見ない人達ですネ。
普通に歩いていてぶつかる人、避けない人、バス停から来たバスに辺り構わず一直線に向かう人、またその逆の人、人間として特に教育を受けなくても、学ぶことが出来ない人々。

携帯電話のマナーなども、皮膚感覚の低下でしょうネ。


投稿者 go-shiyo : 2008年01月18日 21:04

go-shiyoさま
なるほど、たしかに「KY」と通じているような気がしますね。
人は「空気」を肌で感じているのでしょうね。
そうやって考えると、たしかに今の世の中
皮膚感覚が低下しているのだと言えそうです。
なるほど、です。

投稿者 fuRu : 2008年01月18日 23:14