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2010年09月16日

「ねじまき鳥クロニクル」再読

[books ]

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「ねじまき鳥クロニクル」は村上春樹の作品の中で、私から一番遠くにいる作品だったと思います。他の作品は、出版されるとほぼ同時にハードカバーで読みましたが、「ねじまき鳥クロニクル」に関しては、出ていたことも話題になっていたことも知っていたのですが、どうしても手が出ずに、第三部も出て、文庫になって、やっと手にとったのでした。

ちなみに、「ねじまき鳥クロニクル」の初出は

第1部 泥棒かささぎ編(1992年『新潮』10月号~1993年8月号に連載)
第2部 予言する鳥編(1994年4月 新潮社より書き下ろし)
第3部 鳥刺し男編(1995年8月 新潮社より書き下ろし)

文庫化されたのが1997年10月

となっています。

最初に読んでからずいぶん経ちます。読み終えるのに苦労した覚えがあります。いつか機会があったらもう一度読んでみたいとは思っていたものの、どうしても手が伸びませんでした。
発売日に買って、立て続けに三回も読み返した「海辺のカフカ」とはえらい違いです。

実は、私にはアービングを読むと村上春樹が読みたくなり、村上春樹を読むとアービングが読みたくなるという不思議な癖があります。
今回も、アービングの初期の作品「158ポンドの結婚」を読み終えたときに、ふと「ねじまき鳥クロニクル」のことが頭に浮かんだのでした。

読み返してみた「ねじまき鳥」は驚きの連続。あれ?こんな話あったっけ?などと、ずいぶんと覚えていないものです。特にラスト。クミコさんが拘置所に入っていることが明かされる笠原メイとの会話。まったく記憶から欠落していました。その前の、綿谷ノボルを自分の手で殺さなくてはいけないという強い決意がクミコさんのメッセージで語られていたことも完全に欠落していました。こうなってくると、まったく違う小説と言ってもいいくらいです。ですから、「ねじまき鳥」の印象は180度くるりと回転してしまったような感さえありました。
小説というのは、やはり自分勝手に読んでしまうんだなあと、改めて実感。読み返してみることの面白さも確認できました。

さて、「1Q84」のBook3まで読んでしまった今、「ねじまき鳥」が「1Q84」と深くつながっていることがよくわかります。牛河という共通の登場人物がいるのは作者の仕掛けたトラップでしょう。

運命論。自分の生い立ち、生まれ、血統。そこに深く縛り付けられている私たち。その運命からは誰も抜けることはできません。それを運命論としてただ単に受け入れてしまう生き方もあるでしょう。自分の意思になんの自由もないのだと放り投げてしまう生き方もあるでしょう。しかし、そのなかで、縛られながらも自らの主体性を取り戻そうとする生き方がある。
「ねじまき鳥」では、それがハッピーエンドにはなりませんでしたが、「1Q84」ではハッピーエンドとして描かれる。「ねじまき鳥」を改めて読み返して、この二つの世界は対になってひとつの世界になっている、バランスが取れていると思いました。長大な「ねじまき鳥」も「1Q84」でようやく完成したという感じです。

「ねじまき鳥クロニクル」と「1Q84」をあわせて読んで見られると面白いと思います。

というわけで、次はアービングのどの作品を読もうかな。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2010年09月16日 11:00

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