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2009年06月07日

「1Q84」読了---そして

[books ]

一週間で77万部発行されたとニュースで伝えられ
一部の書店では売り切れも出ていたとニュースで伝えられ
それは
発売まで最小限の情報しかリークしなかった売り方の功績だと
もっともらしく伝えられている「1Q84」。
情報が限定されていたための餓えの感覚は、しかしながら私にはありませんでした。
餓え、というよりも多くの方の期待がこの爆発的な売り上げを生んだと思います。

<以下、ネタバレではないのですが本の内容にはふれていると思いますので、未読の方はご注意を>

内田樹さんが言われた村上春樹の世界における「父の不在」は、この本でも象徴的な部分を担っています。
父性原理崩壊の時代に、「父の不在」の物語こそに次に進むべき道を読み取れるのではないか、という大きな期待が村上春樹に向けられていると感じるのは私だけではないでしょう。

資本主義経済の破綻などと大げさなことを言うつもりはありませんが、少なくとも「男性原理的な判断では世界の女性原理的な動きが見えなかった」と言うことはできるかと思います。では、世界はどのように動いているのか。それは、「父の不在」を考えることでみえてくるのではないか。「父の不在」を考えることで、世界を動かす「何か」について見失うことのないように生きてゆけるのではないかと。「父の不在」を見誤らずに生きてゆくことを多くの人が願っているのが現代なのだといえると思っています。

本日付けの読売新聞に「1Q84」の書評が二人の方から寄せられていました。その一人が「生物と無生物のあいだ」の福岡伸一さん。このかたの名前を見て、ああそうかやっぱりと思った人は私だけではないはず。それは、小説の中に彼の「動的平衡」を思わせる記述が出てくるからです。

福岡さんの指摘はさすがで、この小説の一面をクリアーにしてくれていると思います。しかし、「そう言ってしまう」ことの危険性こそ、この小説の一番のテーマではないでしょうか。福岡さんの「動的平衡」も運命論をいたずらに導きかねない危険性を持っています。そして、それは遺伝子について我々が語る時にも。

一番恐ろしいのは、運命論という物語を受け入れてしまうこと。その物語を受け入れるということは自らの物語を失うこと、奪われることに他ならないからです。

そして、これは「アンダーグラウンド」で村上春樹が浮き彫りにしてみせてくれた恐怖です。

この小説が我々に突きつけているのは、まさに運命論に対して物語に何ができるのかということ。我々が物語を必要としているのは、運命論に絡めとられずに自らの物語を見つけながら生きてゆくためではないのか、なのだと、私は思うのです。

とてもとても長い物語、と作者が言うには、今回の二冊ではねじ巻き鳥よりも短いわけで、
出版関係の人がまことしやかに、
Book 3 <1月-3月>
Book 4 <10月-12月>
と、続巻が出ると言っていました。
ですが、話が少し前に戻るというのは続きの展開として考えにくいので
Book 3 <10月-12月>が出そうなことは間違いないような気がします。

そこでは、失われる物語と生み出される物語の間の緊張感が描かれるのでしょうか。

とは言っても、続編が出るというのは想像でしかありませんので、出なくても責めないでくださいね。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2009年06月07日 20:00

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コメント

fuRuさん、私も読了しました。
鋭いご指摘ですね~。勉強になります。
読了して、なんだか宙ぶらりんのような気持ちになっているのですが、
巷で噂されているように、俗編が出て欲しいものです。
私に引き続き、息子が読んでいます。
息子も、村上春樹ファンのようです。

投稿者 わきた・けんいち : 2009年06月08日 10:27

わきた・けんいちさま
アンダーグラウンドという本を書いた時に
村上春樹は麻原も物語の語り部であること
自分がやっていることも本質的に同じことであることに
大いなる戸惑いを感じていたようです。
物語を語ることの問題とそれを乗り越えるために何をなすべきかという問いかけが今回の「1Q84」には込められていると感じるのは私だけではないでしょう。

投稿者 fuRu : 2009年06月08日 10:45

fuRuさん、こんばんは。
お書きになっていることは、物語を語る・・・ということ自体が「父」的なるものを再生産してしまうということですね。ちなみに、本文のお書きになっている内田樹さんの新しいエントリー「『父』からの離脱の方位」に、こう書いてあります。「私は村上春樹がこの作品で『父の呪縛』から逃れる方途について何かはっきりした手応えを覚えたのではないかと思う」。この内田さんのエントリー、大変興味深く拝読しました。
http://blog.tatsuru.com/2009/06/06_1907.php

投稿者 わきた・けんいち : 2009年06月08日 23:12

わきた・けんいちsama
父不在のシステムは成り立つのか
そのようなシステムでやり遂げることができるのか
内田樹さんのブログは大変興味深い言葉で埋め尽くされていました。
父の呪縛から逃れるための方法を得たのではないかという根拠に
物語の細微についての精緻な構築があげられていましたが、まさにその部分、部分と全体の入れ子構造のあり方に「父の呪縛」から逃れられるためのヴィジョンが秘められているのではないかと、私は感じています。

投稿者 fuRu : 2009年06月09日 00:10

さらに読後の感想のようなもの

http://af-site.sub.jp/blog/2009/06/post_1049.html

投稿者 fuRu : 2009年07月12日 21:23