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2011年05月18日

MOTION---Lee Konitz

[ジャズ--jazz ]

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MOTION---Lee Konitz
1961年録音
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高校時代に買ったLPレコードでMiles Davisの「クールの誕生」の冒頭を飾る「Move」。Milesのソロの後に流れるように現れるアルトサックス。Lee Konitzとの出会いでした。
高校生の私は、熱いジャズを好んで聞いていましたので、耳の奥にKonitzのアルトの響きを残しながらKonitzのことは棚の上に置いておいて歳をとっていたのでした。
30も近くなってBill Evansの良さが心の奥に滲み込むようになると、同じく棚の上に置いていたStan Getzにも心動かされるようになり、白人のJazz、そういう括りがあればということなんですが、私は目覚めてゆくことになります。
そのなかでWarne Marshの発見などもありつつ、高校生の耳にも届いたLee Konitzの音色は今の耳にも新たな驚きを与えてくれるようになるのです。

Jazzの面白さはアドリブの醍醐味にあります。しかし、アドリブというのは毎回違う演奏をするということ。毎回毎回眼の前で繰り広げられる予想もつかないスリリングな演奏がアドリブでありJazzであるわけです。そうすると、レコードに録音されたアドリブとは一体なんなのか、ということになります。Jazzのレコードというものは一体何なのかということになります。
一方、Jazzはレコードになることによって、世界に共有されるようになりました。ニューヨークの小さなクラブに行かないと聴くことのできなかった音がレコードプレーヤーから、時間差こそあれ聞こえてくるのですから。
この時間差はインターネットの発達と普及で解消してしまいました。坂本龍一のカナダでの、あるいは韓国での演奏がUstremで放送され世界で同時に体験できるのです。
世界がつながった。音楽が世界で共有されるようになった。それでも、音楽と私たち間に何か薄いベールのようなものが立ちはだかっているのは否めません。音楽というものがもともと人間の聴覚に直接訴える大変生々しいものであり、その生々しさに薄いオブラートがかけられている感じがになめない。それが「メディア」ということなんですが、逆に言えば「メディア」という縛りによって、私たちは生物である音楽を流通できる記号にし、世界の共通言語にしているのだと思います。そう考えると、Jazzのアドリブは生々しい音楽の力を呼び起こすためのメディアの縛りへの抗いがたい抵抗として聴こえてくるのかと思います。

Lee KonitzはJazzプレイヤーの中でもアドリブの旨さでは群を抜いていると思います。彼の演奏を聞くにつけて、メディアに封じ込められながらも自由を求めて飛翔しようとする力を感じます。メディアを飛び越えて音がやってくる。そんな演奏自体が特別なものなのではありますが、飄々として流麗な彼の演奏の魅力はそこにあるのだとを考えています。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2011年05月18日 10:40

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