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2005年03月19日

「設計」は、すまい手の生活の「翻訳」

[00-家づくりについて---house_making ]

つねづね、住まいの設計というのは、住まい手の生活を「家」というかたちに翻訳する作業だなと思っている。そんなことを、今までいろいろ考えてきた。
「村上春樹と柴田元幸のもうひつとのアメリカ」--三浦雅士
「翻訳夜話」--村上春樹・柴田元幸

僕は、このブログでいろいろなことを言葉にしている。
小説の世界やドラマを自分なりの言葉に置き換えたりしている。
こうして、言葉にする作業というのは、自分にとってとても大切なことだと思っている。

いざ、設計が始まると、住まい手と僕とのコミュニケーションは、図面やスケッチ・模型を使うことになるのだが、どんなものを使おうと、そこに言葉がなくては始まらない。僕は住まい手の要望を言葉で聞き、それを確認しあいながら「形にしてゆく」という作業を進める。こちらからの提案だって形を言葉にすることによって説明する。
言葉が大切なのは、僕らが今作ろうとしているものが、目の前に「そのもの」として存在しないから、「そのもの」を想像しないと始まらないからだ。相手の考えていることを想像すること。こちらの考えていることを、ちゃんと想像してもらうこと。そのために「言葉」はとても大切なものなのだ。

フジテレビのドラマ「優しい時間」を言葉にしている。
Amehareさんという方が、そんな僕の記事をご自分のブログに書いてくださった。
af_blogさんの「優しい時間」の記事
この記事のコメント欄で、Amehareさんからうれしい言葉をいただいたのでここに引用させていただきます。

設計というお仕事が、「住み手の言葉を空間というかたちに翻訳してあげる事」というのを聞き、なるほどなぁと感心しました。
つまり、住む人がどういう「場」を作っているのか、もしくは作りたいのかを、知ることなんですね。そうなると、設計のお仕事はただ図面に線を引くことではなく、人と関わり合いを持ち、考えを引き出し、深くコミュニケーションをすると言うことなんだと愚考しました。

ブログで記事を書くことは、僕にとってとても大切な作業です。
それは、僕の仕事で「言葉を使うこと」がとても大切なことだからなのです。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年03月19日 15:04

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コメント

fuRuさん、こんばんは。
ブログを紹介して頂き、誠にありがとうございました。
僕のコメントは、その前に fuRuさんのコメントがあってこそだと思います^^。
こうやって、自分の知らない部分を含め、コメントというコミュニケーションで、一つの何かが作られる・得られるのが嬉しいなぁと思いました。
以前に fuRuさんにコメントしたのも、考えてみれば「翻訳」の事でした。鈍い僕はようやく、 fuRuさんが翻訳の事を気にされていた理由がわかりました。ありがとうございます。
では

投稿者 amehare : 2005年03月20日 00:09

amehareさん こんにちは
>コメントというコミュニケーションで、一つの何かが作られる・得られるのが嬉しいなぁと思いました
ブログの特徴のひとつは「コメント」を付けてもらえるということですよね。
コメントのやり取りから、なにか新しい次のことが起こる。そんなことも、僕は期待しながらブログをやっています。
リンクさせていただきました。これからもよろしくお願いします。

投稿者 fuRu : 2005年03月20日 11:58

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