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2005年10月15日

Mahler: Symphony No.9----Bernstein

[音楽--music ]

Mahler: Symphony No.9----Bernstein
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テリー・ライリー来日の情報を最初に発信してくださった
山尾さんがブログでマーラーを聞いているという記事を書いていた。
滋味あふれるクーベリック
それを読んだ僕も、無性にマーラーが聞きたくなってしまった。

マーラーは、この九番をよく聞く。
別に、バーンスタインでなくとも、それはそれで構わないのだが、
このバーンスタインの最後の九番は、特別に僕を引きつける何かを持っている。

ところで、僕は九番も好きだしバーンスタインも好きだ。

雑誌で読んだ音楽評で
バーンスタインのマーラーは、マーラーではない。それはバーンスタインだ、
なんてことを書いている人がいた。
その人にとって、このレコードは、マーラーを聞くためにあるのではないようだ。

僕は、クラシックも好きだけれども
ジャズに比べて、語彙が少ないのは事実。
それは、クラシックの大海原の見取り図の一つも未だに持っていないからだろう。
だから、このバースンタインの九番について
これはマーラーではないという、その意味を
きっとわかっていないに違いない。

確かに、バーンスタインは個性的だ。
しかし、マーラーの作品を乗っ取ってしまうほど個性的かといえば、そうではないと思う、うんぬん。

まあ、ここは一つ、このレコードからあふれ出る音の海に
身を沈めてみることが大切ではないか。

僕らの目の前には、身を沈めてもあまりある大海原が、ずーっと彼方まで広がっているのだから。
その広がりに、このレコードの快楽と悦びがあることを確信しながら。

それにしても、このレコードの音に身をうずめていると
海の底に沈んでゆくような感覚があるのはどうしてだろう?
その、深く深く沈んでゆく感覚。
(これを「ダイビングミュージック(潜水音楽)」と名付けてみようか。)

たぶん、ずーっと果てまでも続いているような広がりと
深淵まで沈んでゆく深み。
そのふたつが重なって、僕を引きつける力となっているのに違いないのだ。

マーラーの音楽、特にこの九番から
僕が海を連想するのはそのせいかもしれない。

そして、また僕は音の波にのまれてゆく。
音楽の深みへ誘われながら。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年10月15日 00:00

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コメント

マーラーのバーンスタイン盤は、レコードとCDとで飛び飛びに聴いていますが(残念な
がらチクルスは持っていません)、なんとなく違和感を感じてしまうのは、やはりバーン
スタインだから・・・なんでしょうか。(笑)
最初、彼のマーラー演奏から入りますと、他のチクルスを聴いても「バーンスタインは
なんて個性的なんだ」ぐらいの感想にとどまるようですが、他の指揮者のマーラー、た
とえばシノポリとか、テンシュテット、インバル、ショルティ、カラヤンなどから入ってしま
った聴者の場合、バーンスタイン盤を耳にすると「これはマーラーじゃない」・・・と感じて
しまう方が多いように感じます。
わたしは、「破綻」しているといわれているNo.2が好きなのですが、ちょうどJazzでいい
ますとコルトレーン「TRANSITION」(1964年)の、モードからフリーへ突入寸前に塀の上
をどちらへ落ちるかわからない、危うい演奏をつづける様子が、マーラーの存在位置に
なんとなく重なって思えてしまうんですね。「新ウィーン楽派」の足音がそこまで聞こえ
ているのがわかるのに、既存のワク組で作曲・演奏せざるをえないもどかしさ。
その、既存の楽理/ハーモニズムからの逸脱、「破綻」への序章としてのマーラーが、
バーンスタインの演奏からはあまり感じられず、さすがバーンスタインなりにうまくまと
まってしまって希薄だからじゃないか・・・と、わたしは独断と偏見で思っているのですが。

投稿者 Chinchiko Papa : 2005年10月17日 00:17

Chinchiko Papaさん こんにちは
僕が最初に聞いた9番はバルビローリだったと思います。
今でも名盤の誉れ高い64年の録音。
そして、遅ればせながら最近、ジュリーニの74年の録音を聞きました。こちらも名盤。

それで、ジュリーニを聞いていて思ったのですが、
バーンスタインの演奏はかなり独自の解釈で「まとめている」なあ、ということです。
マーラーの音楽は、聞いていると、全くとりとめのないメロディの重ね合わせのようです。
それが、マーラーの音楽の特徴なのでしょう。
つまりは、「バラバラな音楽」こそがマーラーの個性であるとすれば
ジュリーニなどバーンスタイン以外の演奏では、そのことがよくわかる。
それは、バーンスタインに比べてということです。
そのバラバラ感を、バーンスタインは表に出していない。
バーンスタインの演奏には、マーラーの音楽の魅力である緊張感とか崩壊感を
マーラーの音楽がそもそもはらんでしまっている「バラバラ感」で表現していないという不思議なところがあると思います。
Chinchiko Papaさんが言われる
>既存の楽理/ハーモニズムからの逸脱、「破綻」への序章としてのマーラーが、
バーンスタインの演奏からはあまり感じられず、さすがバーンスタインなりにうまくまと
まってしまって希薄だからじゃないか・・・

ということと重なっているかなと思いました。

で、やっぱり、バーンスタインは変だな、というところで落ち着くんでしょう。

投稿者 fuRu : 2005年10月17日 00:51

音楽は、到底言葉でうまく表現できませんけれど、妙なたとえです
が、どんなスタンダード曲でもモンクが弾くと、「コード進行間違って
んじゃないの?」とか、「また、やっちまっただよ」とか(笑)、もうどっ
ぷりとモンクのオリジナルのような曲に変貌してしまい、さながら「こ
れがオレの音楽だ、モンクあっか?」と提示されているような想いに
なりますが、バーンスタインも同じような感覚があるんじゃないかな
・・・と想像します。
モンクを聴きたいとか、バーンスタインを聴きたいとか、あるいは両
者のファンの方には、もうたまらなく良いと思うのですが、スタンダー
ドっぽい「April in Paris」を聴きたいとか(笑)、マーラーっぽい演奏が
聴きたいとなると、違うアルバムを選んでしまうかもしれません。
このあたり、解釈がいろいろありそうですが。(^^

投稿者 Chichiko Papa : 2005年10月17日 13:17

うーん、なるほど。
バーンスタイン=モンク。
僕にとっては、とてもわかりやすいです。
そうですね。バーンスタインはモンクっぽい感じがします。
もう少し、別の人のマーラーも聴いてみます。
Chichiko Papaさんのおすすめの9番は誰の演奏ですか?
よかったら、教えてください。
それから、9番のスコアもアマゾンで注文しました。
バーンスタインの演奏はスコアを無視(?)しているような感じがありましたので。
もう少し深くつっこんで、また改めてエントリーしたいと思っています。

投稿者 fuRu : 2005年10月17日 17:31

最近のは聴いてないので、あまりご参考にならないかもしれませんが、
昔は古いところで月並みですがワルターやクーベリック、ショルティなど
(LPレコードですね)、CDではやはり音の良さとまとまりでインバルのチ
クルスを多くききました。ほかに、テンシュテット(10番とのカップリング)
とか、マゼール、小澤も聴いてました。ちょっぴり変わったところでは、
ブレーズのマーラーが“泣け”ますね。(^^; 確かNo.9も出ていたと思いま
すが、わたしはこの人の「浄夜」でも“泣け”たクチです。(汗)

投稿者 Chichiko Papa : 2005年10月17日 20:00

山尾さんもお勧めのクーベリックを購入しました。
といっても、アマゾンでポチッとしたのでまだ手元には届いていません。ちょっと、楽しみです。
ブレーズは、僕は「春の祭典」で“泣け”ました。(笑)
ブレーズの9番は、かなり気になっていましたので、買ってしまうかも。
まあ、この9番は僕のライフワークみたいな感じなので
少しずつ聞いてゆこうと思います。

投稿者 fuRu : 2005年10月17日 22:22

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