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2005年10月14日

ROMA----Fellini

[映画・ドラマ・舞台--movie/play ]

「フェリーニのローマ」
amazon

サテリコン 」と二枚で1780円。量販店でさらにポイントもつく。
こんな値段で良いの???と大疑問ではあるのだけれども
まあ、そういうわけで、買ってきた。
「サテリコン 」は見たことがあったけれども
「ローマ」については、恥ずかしながら初めて。

というわけで、フェリーニ、ローマを語る、である。
さて、では、「語る」とはいったい何か?

「語る」ことに潜む「フィクション」。
では、「フィクションではない」=「真実」とは?

1954年の「道」、57年の「カビリアの夜」、
1960年の「甘い生活」、63年の「8 1/2」。
1972年のこの「ローマ」にいたるまで
フェリーニほど饒舌に語ってきた人が他にどれだけいるだろうか?

そのあまりにも饒舌で芳醇な語り口に多くの人は魅せられた。

しかし、フェリーニは「ローマ」を魅せようとはしなかった。
いや、魅せているのだ、しかし、単に「ローマ」の魅力を饒舌に語り
その芳醇な魅力で人々を幻惑させることを
彼はかたくなに拒んでいるのだ。

「ローマ」の記録映画を撮影するという、
劇中劇ならぬ、映画中映画という視点が、我々の幻惑を一気に吹き飛ばす。
僕らは映画の中に入り込めない。

あれほど、僕らを幻惑させてきたその巧妙な口先を閉じること。
それは、自らの大切な場所を堅く守るという強い意志である。
その意志の前では、「ローマ」は、フェリーニの中にある確かな場所であることが浮き彫りにされ
たとえば日本に住む僕らの幻想などではあり得ないということが宣言される。
僕らは映画の中に入り込めない。

そして、これはドキュメンタリーでもない。
我々を幻惑させるドキュメントという語り口をも拒否している。
映画のあちこちにちりばめられる「物語」の断片が
ドキュメントであることを否定する。

この否定の中にある、強い肯定。

それこそ、フェリーニの「ローマ」に対する愛情の発露だ。
こんなにも「場所への愛」が浮き彫りにされた映画が他にあるだろうか?

僕は映画を見終えて
今まで感じたこともないような大きな力で心を揺さぶられているのを感じる。

僕が愛する場所とは?確かな場所とは?
そして、僕が、肯定できる場所とは?

フェリーニの愛は僕らを揺さぶる。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年10月14日 00:15

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コメント

もしまだ見ていなけいのであれば、ごめんなさい。地下鉄工事の際に古代遺跡にぶつかったときの場面など忘れられない場面が多かった楽しく、話題の多かった映画でした。

投稿者 shin : 2005年10月14日 00:49

shinさん コメントありがとうございます。
もちろんもう見ていますからご安心を。
古代遺跡にぶつかるシーンはほんとに印象深いシーンですね。
外気にさらされて、壁画がみるみるうちに消えてゆくというのも幻惑的でした。
まさにフェリーニの豊穣さのあふれんばかりの名場面だと思います。
実は、このシーンについてはアースダイビングネタで
あとから別の記事で触れようと思っていました。
ネタバレですね。。

投稿者 fuRu : 2005年10月14日 09:26

アマルコンドの汽船、バイクの行列、大きい女小さい男、私たちが実現できない(建築)空間がいつもあります。先走りばかりで申し訳ない....地下鉄場面は幻想的でした。

投稿者 shin : 2005年10月15日 02:26

shinさん
昨日は「サテリコン」に見入っていたfuRuです。
「サテリコン」には、何度見ても圧倒されます。
フェリーニの映画には愛があふれています。
場所への愛もあふれていますね。
この「ローマ」を見て以来、僕は「場所への愛」について考えています。
テレビの世界やデザインの世界で「場所への愛」が失われつつあること。
あるいは「場所」そのものが姿を変えてきていること。
そんなことを考えながら
フェリーニの魅力に、ふたたび、はまりそうです。
「甘い生活」もデジタルリマスターで出ましたので要チェック。
「8 1/2」も「アマルコルド」もデジタルリマスターが出るのは時間の問題でしょうか。
待ち遠しい限りです。

投稿者 fuRu : 2005年10月15日 12:00

国立高校と桐朋学園(両映画同好会)で国立スカラ座を席巻していた時期があり、僕らがリクエストしたものが100%かかりました。「サテリコン」「8 1/2」などフェリーニもほとんどここでした。学園紛争の最中でしたし「ノンポリ」の僕らは「イージーライダー」「バニシングポイント」「俺たちに明日はない」などを繰り返しリクエストしてみてました。「場所への愛(偏愛)」は自由を希求するベースだと思います。

投稿者 shin : 2005年10月15日 21:25

shinさん
>「場所への愛(偏愛)」は自由を希求するベース
人には自由である場所、自由でありたい場所があるはずです。
それぞれの人がそれぞれに自由になれる自分の場所がもてる社会であって欲しいと思います。

投稿者 fuRu : 2005年10月16日 01:06

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