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2005年11月16日

「賢者の手---テリー・ライリーのピアノ」

[音楽--music ]

昨晩(11月15日)は自由学園明日館講堂にて
テリー・ライリーのコンサートがあった。
開場となる6時半にいったら、すでに整理券が配布され人混みになっていた。
僕の整理番号は83番。

1935年うまれのテリー・ライリーは70歳。
鍵盤をたたく最初の音から、そんなことなんかどこかに飛んでいってしまった。
お元気で何より、と、そんなことではなくて
そこには生きている音が響いていた。

ギターのタンネンバウムさんは
長年ギターの曲を書いてこなかったテリー・ライリーのもとに足繁く通い、
念願のギター作品を書いてもらうことになったそうな。
クロノスカルテットのリーダー、ハリントンが
隠居生活を決め込んでいたテリー・ライリーに
再び作曲活動へむかうように懇願したエピソードを思い出す。

そして、今回の演奏曲目には
ピアノ、キーボードとギターのデュオ作品がならんでいる。

そうしたギターの曲を聴いていて
僕はジミー・ペイジのギターを思い起こしていた。
ジミー・ペイジって誰?なんていわれても困るんだけれども
70年代ハードロックの王者たるレッド・ツエッペリンのギタリストであります。
ペイジのギターは、カントリー、ブルースなどアメリカの音楽をルーツとしたものだから
本来は、本家の方を思い起こすべきなのかもしれないが
ライリーのつくった音、タンネンバウムが紡ぎ出す音は
そうした泥臭いアメリカの土を感じさせる音ではなかった。
いやいや、ライリーの意識はアメリカの大地へと向かっていたはずだ。
大地へと向かうためのツールとしてスチールギター。
そんな感じがした。
そう考えると、ジミー・ペイジのギターこそが
テリー・ライリーに影響されているんだろうなあ。
(時間軸が変ですが気にしない)
世界初演の「ムーンシャイン・ソナタ」も、そうしたギターとキーボードのデュオ。
それにしても、世界初演にこうして立ち会えるというのも嬉しい。

もう一つの演奏会のプログラムはピアノのインプロビゼイション。
こちらは、聞いていて先日のキースジャレットを思い起こしていた。
いやいや、思い起こすじゃなくて
僕の中でキースとテリーの区別がつかなくなっていた。
いやいや、区別がつかないというのも変で
なんなんでしょう。
でも決定的に違ったのは音響。
僕の座った場所はたぶん最悪で
ピアノの音が反響しまくり。これでは、せっかくの演奏もいけない。
これは、でも、音楽と関係ないですね。

まあ、ともかく。
あふれる音に身をゆだねることの楽しさ・喜びを
たっぷりと堪能した2時間ちょっとでした。

さて、今晩もあるので楽しみなのです。
でも、もうちょっと席を選んで座ろう。

「ビート経文--テリー・ライリーとビート詩人たち」(11月16日)
テリー・ライリー 最終日はトークセッションでした(11月17日)

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年11月16日 13:04

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ドアが開いて、写真では見慣れた白髭の顔が見えた途端、思わず拝んでしまった山尾です [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年11月16日 14:33

» テリー・ライリー from some origin
テリー・ライリーを聴きに明日館講堂へ。すごくよかった。降りそそいでる感じ。いや、 [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年11月16日 14:48

コメント

今週は月曜からプライベートタイムが多忙ですね。
そうですね、Keith Jarrettのアルバム「Death And The Flower」に収録されている「Prayer(祈り)」も多分にミニマム的な要素が感じられます。

投稿者 iGa : 2005年11月16日 14:35

iGaさん
なんだかよくわからないけれども
月曜日に試写会で
火曜日・水曜日・木曜日がテリー・ライリーで
金曜日が仕事で
土曜日の午後が芸大の吉村順三展のシンポジウムで
なんていうことになっていました。
やはり、芸術の秋と言うことでしょうか。

投稿者 fuRu : 2005年11月16日 15:39

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