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2005年03月06日

「シュタイナー入門」---小杉英了

[books ]

「シュタイナー入門」
著:小杉英了 ちくま新書
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茂木健一郎養老孟司の本を続けて読んでいます。
彼らは自らのことを唯物主義者だと言っています。
こういう時に僕は自分の中のバランスをとりたくなるのです。
つまり、唯物主義と反対のものを探します。
というわけで、シュタイナーについて書いてある入門書をみつけたのでした。

ルドルフシュタイナーの名前は知っていましたが、それは名前を知っている程度でした。
この本は、シュタイナーの思想が生まれる前史からシュタイナーの生きた時代を、当時の社会の状況を描きながら紹介しています。
「なるほど、このような社会背景から彼の思想は生まれたのか」ということを描こうとしている本です。かなり過激な記述もみられていたって刺激的。しかし、この本には肝心のシュタイナーの思想についてはほとんど触れられていません。たぶん、シュタイナーの思想はシュタイナーが著した本の中にあるのだから、解説などするべきではなく、原著を読んで欲しいということなんでしょう。

オカルトとして敬遠されがちなシュタイナーの思想ですが、この本では「オカルト」とはなにかと問いかけます。「オカルト」とは4世紀以降にローマの政治権力とキリスト教会が結びついたときに、自らを正統教会として主張するために異端を激しく排除した、そういう歴史の中で、排除され排斥された思想のことだと小杉は言うのです。(僕はここで、読みかけのまま本棚にあるフーコーの「監獄の誕生」を思い出す。)
そして、その排斥された思想の中に人間にとって本当に必要な精神性をシュタイナーは見つけたのです。それゆえ、シュタイナーについて語られる時「オカルト」という言葉がでてくるわけです。しかし、その意味は真の人間の精神性について考える時に、シュタイナーにとって必要だった思想がたまたま歴史的に「オカルト」と呼ばれていただけであって、シュタイナーをオカルト趣味として片づけるわけにはゆかないのです。こうして、小杉はシュタイナーへそそがれる偏見を少しでも開放しようとするのです。(偏見はいけませんよね)

さて、この本を読んでかなりショックだったことがあります。それは、シュタイナーが第1次世界大戦が起こった原因について、それは秘密結社の仕業であると言っていたことです。えっ!秘密結社?????
現代社会においても、あの911同時多発テロを秘密結社の仕業であると主張する社説を読んだことがありますが、ちょっとびっくりしました。それにしても、秘密結社ってなんなんでしょうか?
数カ国の国を含めた社会を、そうした特定の組織が動かすことができるかどうかといえば、動かすようなきっかけを仕掛けることは出来るだろうけれども、意のままに動かすなんてそんなことはありえないでしょう。と言うか、そんなことは不可能ですよね。では、秘密結社の仕業と公言してはばからなかったシュタイナーはただの狂人なのでしょうか?

小杉は遠回しにですがシュタイナーを養護します。
まず、小杉はシュタイナーが強調した議会制民主主義の影の側面についてふれています。ここで、議会制民主主義こそ自由の社会だと教育を受けてきた僕らはまたしても当惑するのですが、シュタイナーは議会制民主主義を「既存の経済上の利益を代表する者たちによって議席が占領され、新しい社会形成を訴える者を法的に拘束する機能しか果たさない」システムだと考えていたといいます。代議制は国民の意思が反映されていると思い込ませる巧妙なシステムだとも言っています。自分の意思が国に反映されていると信じることによって人間はその国の「国民」として国に服従するようになる。議会史民主主義とはそうした人間を拘束するためのシステムなのだというのです。なんと過激な論の展開!ちょっとついてゆけないなと思いつつ先へ行きましょう。

第1次世界大戦の挽き金となったのはオーストリアのフェルデナンド皇太子の暗殺です。この皇太子は国家という枠組みを越えたドナウ川に沿った「南スラヴ連邦国家構想」をもっていました。この構想は対立するスラヴ系とゲルマン系が共存して共生出来る空間の実現をもたらすものだったのです。これは、国家という枠を越えたコスモポリタンの思想でもあります。しかし、ヨーロッパを、世界を議会制民主主義へと先導してゆきたい秘密結社にとって、この構想は対立するものだったのです。
ここで秘密結社は、民族主義と国家主義を強烈に結びつけることによりヨーロッパを議会制民主主義へ導くという道をとるのです。その結果民族対立が激化して世界大戦が導かれたというのです。

それにしてもどうだろでしょう。これが事実であるかどうかは誰にも分かりません。しかし、表で語られている歴史の背後に、何かしらの大きな力が働いているということは、今までの歴史をひも解くまでも無く、否定出来ないとは思います。
小杉は、ここでシュタイナーを盲目的に信じるのは間違いであるといいます。しかし、シュタイナーの論の中に、国家や資本に縛られない自由な人間の姿という理想像があったということは、シュタイナーを考える時にとても大切なのではないかと思います。
みなさんは、どう思われますか?

さて、シュタイナーが生きた20世紀初頭のドイツには、一つの風が吹き始めていました。
1919年ワイマール憲法の制定とドイツ労働者党結成です。ドイツ労働者党は翌年「国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチス)」と改名します。さらに、1921年にはヒトラーがナチスの最高権力者になります。
ナチスのシュタイナー攻撃はヒトラーの指導者であったハルトマンから始まります。それは、ある事ない事のデマを雑誌に記事として載せるような誹謗中傷の攻撃でした。
しかし、小杉は「シュタイナー=善、ナチス=悪」では語られないと言います。というのも、シュタイナーの著書の中には明らかな人種差別的な表現が見られるからです。
小杉は、シュタイナーたれども時代の理性を越えられなかった「時代による認識の限界」がそこにはあったのだといいます。であるから、シュタイナーの著書を現代という時代に読む我々は、その「限界」を良く見極めて読まなくてはならないというのです。なんとも難しいことですが、シュタイナーの著書を現代において読むという事は、時代を超えたシュタイナーの声を聞く事にほかならないということなのでしょう。

さて、シュタイナーは「人智学」とか「シュタイナー教育」ということとは別に、僕ら建築の設計にかかわるものにとって特別な存在でもあります。
それは、彼が「魂の共同体」のための場所として建築の建設を行ったからです。
「ゲーテアヌム」と呼ばれたその建物は、1913年に着工し1920年に完成しました。しかし、この木造の建物は1922年に焼失。シュタイナーはゲーテアヌムの再建を夢見て晩年に自らの手で建物の模型をつくりました。その模型を元にシュタイナーの死後、1926年から1928年にかけて第2のゲーテアヌムが建設されたのです。
この建物は鉄筋コンクリート造で今でもスイスのバーゼルでシュタイナーの意思を受け継ぐ活動の拠点となっているようです。
a_k333さんが撮影されたゲーテアヌムの姿

さて、この本を読んで「シュタイナー」という広大な世界乗り口に僕はたてたでしょうか。
それは、まだよく分かりません。ただ、シュタイナーが生きた時代、シュタイナーが戦った時代について、少しはわかったと思います。
そして、その時代は列国の探検隊がシルクロードから壁画や埋蔵品を自分の国に持ち去った時代でもあるのです。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2005年03月06日 17:36

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