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2005年05月13日
42
[いろいろ--misc. ]
42歳になった。
42といえば厄年。
厄年は数えでいうから、正確には昨年が本厄で今年が後厄。
厄年にも大厄と小厄があって、数え年の42歳は男の大厄。
ところで、厄年に家を建てるのはよくないといわれながらも
統計的には前厄、本厄の年に家を手に入れている人が多いようだ。
→小池康壽の現代家相学「厄年に家を建てる!!」
藤原和博さんは「建てどき」という本で
45歳を過ぎたら家を建ててはいけないと言っている。
何十年も払い続けるローンのことを考えると
早いうちに行動を起こした方が良いのかもしれないが
なかなかそうともいかないのは、人様々な人生の問題を抱えているから、だろうか。
役所広司が好演している「Shall we ダンス?」をテレビでやっていた。
役所広司は東京郊外に庭付き一戸建ての家を購入。
知らないうちにローンの支払いが人生を圧迫しているのだろうか、
もうひとつすっきりしない日々。
もちろん物語はそんなことを巡っていたりはしないのだが
その夢のような幻のような物語の、その現実的な背景の描き方が興味深かった。
ローンは人生を縛り付ける。そうなのかもしれない。
宮部みゆきの「火車」は、まさにマイホームローンが家族を破綻させた物語であった。
役所広司の役にはそこまでの深刻さはない。
深刻さはないが根は深いというところか。
「地球のはぐれ方」のあとがきで
都築響一は、幸せの敷居の高さについて語っている。
背伸びをしない人生。
等身大の生き方。
決して、不幸なんかじゃないあなたの人生。
45歳までに家を手に入れること。
厄年は避けること。
すると、僕の場合には来年からの2年間が残される。
その二年間で
僕はきっと自分の身の丈にあった人生を決断することになるのだろう。
そのとき、僕は家族とどんなところに住んでいるのだろうか?
どんな家で暮らしているのだろうか?
○41(去年のこと)
※新しいホームページで情報更新中!!
投稿者 furukawa_yasushi : 2005年05月13日 09:30
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私はおしゃべりである。 ・・・・って今更かしら。おほほほほ。 [続きを読む]
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コメント
ありゃま。
誕生日一日違いでしたか。おめでとうござ。
#ちなみにおいらは5/12
投稿者 shachi : 2005年05月13日 10:31
shachiさん なんと!
いやいや、どうもどうも。
不思議なもんですね。
投稿者 fuRu : 2005年05月13日 10:33
おめでとうございます♪(^-^)/
じゃあ今日はまるいケーキでお祝いですね♪
僕もケーキ買ってこよ!(別の場所からも祝っています♪)
投稿者 ひなよし : 2005年05月13日 10:49
ひなよしさん
後一年で厄年からも開放されます。
精進、精進・・・。
投稿者 fuRu : 2005年05月13日 12:03
ハッピーバースデイ2U!!!
本当におめでとうございます!!!
厄年って働き盛りだから「調子に乗るとさ〜〜」って意味があるって聞いた事があります。
fuRuさんのお誕生日!!!きゃーーー!!!!
バックミュージックは
王国より
NothingCompares2U♪
投稿者 kazoo : 2005年05月13日 20:52
そうですか、42歳ですか。
でもfuRuさんはしっかり考えてますね。
私が42歳の時は「乗りどき」とばかりに、若葉マークをつけて356に。
ベテランに笑われたり呆れられたけど、今から思えば、あの時しかできないことでした。
50歳からは、これがラストチャンスの「飛びどき」とラジコン飛行機に入門。
5年目で視力の低下を実感、やっておいて後悔はありません。
このように、まったく足が地に着いていない人生で「建てどき」などないまま、
子育てを終わり、また新婚時代のように夫婦二人の生活が始まりました。
最近、やっとRVでキャンピング放浪するアメリカのベビーブーマーの気持ちがわかるようになったんだけど、以上が私の等身大の生き方でしょうか。
投稿者 Kurita : 2005年05月13日 22:13
kazooさん どうも
「厄年」は「役年」といって、社会的に重要な役回りにつくということだと誰かに聴いたことがあります。昨年の本厄では、はたしてそうだったかな、とか、いろいろ考えますが
まあ張り切りすぎずにがんばりたいと思います。これkらもよろしく。
でも、こういう場合には、男性は実年齢を正直に発表しますが、女性は秘めておられますよね。そこを想像するのが楽しいのかもしれませんが・・・。
Kuritaさん こんにちは
変な話ですが、僕は最近、家を持つことが甲斐性だということにはいささか疑問を持っています。もちろん、仕事柄、どんどん新しく家を建ててくれて、設計を依頼してくれた方が良いのですが、どうもそういうことでは世の中はないんだなと考え始めているというところでしょうか。
中古の何でもない住宅を、ちょっと手を加えて、なんだか全然違う姿にしてしまうといったことに、とても興味を持っています。
今読んでいる、ジャック・ケルアックの「路上(On The Road)」には、そういう、何か家を持つということとは違う息吹を感じています。
投稿者 fuRu : 2005年05月14日 01:06
お誕生日おめでとうございます。
ちなみに私は5/2で〜す。
歳は秘密で〜す。
しかし、42歳の厄年って男の厄年だけど、女も同じような気がします。
そのころって最悪でしたわ〜。今、ぱ〜っと運命が開けた感じがしますよ。
投稿者 reirei : 2005年05月15日 18:53
reireiさん こんにちは
はてさて、reireiさんはおいくつなのかしら・・・?
さて、僕も本厄を終えて
なんだかいい感じになってきたような気がします。
気がするだけで終わらないと良いんですが。
投稿者 fuRu : 2005年05月15日 23:12
42になりましたか・・・僕は45ですから、そのうち確実に追い越されそうです(笑)。
等身大とか身の丈・・・ということは僕も最近よく考えるようになったのですが、
「身の丈」というのは社会の中の自分と、それと離れた自分自身の価値観と二つの面があると思います。
社会の中では身の丈は変化するけれど、自分自身の中ではいくつになっても変わらないのでは?・・・
そのギャップが面白いと思っていたのですが、変わらないと思っていても、
だんだん実は自分も変わっていっていることが分かってきて、変わることが普通だと思えるようになってきました。
50代になったら何考えてるんでしょうね?
投稿者 伊礼智 : 2005年05月18日 20:11
伊礼さん どうも
4つ違いと思ってたのですが、いつのまにか3つ違いに・・・、差を縮めつつある・・・(笑)。
人は自分の「身の丈」については語る事が出来る。
「身の丈」とは「セルフイメージ」のことでしょうかね。
そして、人は自らの理想とするところに向かってすすむ。
自分が、こうありたいと思う未来型の「セルフイメージ」といったところでしょうか。
それにしても、50代になったらどうなってるんでしょうね?
投稿者 fuRu : 2005年05月19日 09:37