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2006年01月21日

「辺境を歩いた人々」---宮本常一

[books ]

「辺境を歩いた人々」
著:宮本常一 出版:河出書房新社
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宮本常一の仕事はとてつもない大海原のようだ。
あるいは荒野、大平原、いやいや砂漠。
そこを宮本常一は歩く、歩く、歩く。
僕にとって宮本常一は歩く人だ。

「忘れられた日本人」には
歩き続ける宮本常一の姿がある。


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宮本常一の、その姿があるからこそ、この本「辺境を歩いた人々」と
そこで描かれた人々が生き生きとしてくるのだろう。
ここには、江戸から明治にかけて日本を歩いた先人たちの姿と
先人たちが書き留めた庶民の姿がある。
そして、それを見つめる宮本常一の眼差し。

多分、中学生、高校生向きにかかれた本なのだろう
言い回しに次の世代へ伝えようという気持ちが表れている。
今の中学生・高校生がこの本を読んでどんなことを感じるのだろう。
この本に込められた宮本常一の深い眼差しを
世代を超えて共有すること。
共有したいと願うこと。
マネーゲームではなく、歩くこと、歩くこと。

僕が学生時代に山を歩き森を歩いたのも
歩くことによって、大地と森を感じるがためだったと思う。

そして、丘に登り、谷におり
地中の歴史に思いを寄せ
ダイビングするのも、
歩くことが
その場所を歩くことが
大切だからに違いないのだ。

それにしても、ここで紹介されている人々の
歩いたこと歩いたこと。
そのエネルギーはどこから生まれたのか。
好奇心というものの底の深さ。
そこにこそ、人間の生きる喜びがあるに違いない。

<蛇足>
第三回アースダイビング大会が行われます。
誰でも参加できる会とのことです。
詳しくはMADCONECTIONの記事にアクセスしてみてください。
第三回アースダイビング大会のお知らせ

<覚え書き>
・「近藤富蔵」ーーー近藤重蔵の子
近藤重蔵は28歳の時、1798年のえぞ地調査に隊長として参加した人物。
以後10年間にわたり最上徳内らとともにえぞ地調査を行う。
重蔵の義経妄想。派手好きな生活。
離れ(別荘)の隣人とのいざかい。富蔵は怒りのあまりその隣人とその妻まで殺してしまう。
隣人の妻まで殺してしまった罪で1827年(23歳)に八丈島に島流し。
八丈島を調べて1855年(55歳)「八丈実記ー28巻」を書き上げた。

・「松浦武四郎」
伊能忠敬と間宮林蔵が主に海岸線の地形の測量を行った。
松浦武四郎は北海道の山や川などの内陸の地形を歩いて調べた。
その内陸地図は明治中頃まで実際に使われた。
1844年(27歳)最初のえぞ地探検。
1846年 2回目のえぞ地探検。
1849年 3回目のえぞ地探検。クナシリ、エトロフ。
1856年 4回目のえぞ地探検。虐げられたアイヌ人を守るべく尽力。
その後何回かのえぞ地探検。
北海道の名前の由来となる「北加伊道」という名前を考えた人。

・「菅江真澄」
日本各地(特に東北)を歩き、そこで生活する人々の様子を
絵と文章で書き留めた。
1783年(30歳)。旅に出る。その後家に帰ることはなかった。
同じ年の浅間山の噴火。
天明の大飢饉の様子。地逃げ。
そして、秋田で生涯を全うする。

・「笹森儀助」ーーー笹森重吉の子
1845年生まれ。15歳から22歳に山田登に師事。
これからの日本のためにはどうしたらいいかという問題意識。
産業を盛んにして国を豊かにすること。そのための牧畜。
俸禄を失った武士階級(士族)の生活の糧として。
青森から東京に牛乳を売りに来たことも。しかし、失敗。
政治家への絶望。政治家に頼らず自らの足で調べること。
まずは千島探検。「千島探検」という本を明治23年に書く。
この本がきっかけで南の島々の調査を命ぜられる。
沖縄にて田代安定に会う。
田代安定と琉球。
伊能嘉矩と台湾。
沖縄のライ病患者。
その後、大島の島司として島の発展に尽くし
朝鮮半島の踏査も行った。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年01月21日 16:00

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トラックバック時刻: 2006年01月21日 20:28

コメント

こんにちは、たびたびです。
宮本常一さんは僕も大好きな方です、昨年の秋にこの人の足跡を追いかけた毛利甚八さんの本を読みましたので、TBさせて頂きました。
そういう意味でもアースダイビング大会は面白そうですね。

投稿者 カーク : 2006年01月21日 20:34

カークさん
アースダイビングをこういうふうにとらえているのは僕だけでしょう。
でも、「アースダイバー」を書いた中沢新一のそのおじさんは網野善彦。
その網野善彦は「常民文化研究所」にいました。
もちろんこの研究所は宮本が創設したものです。
ですから、宮本常一の業績は中沢新一に引き継がれているのだと僕は考えていますし
彼らが書いたものは、そういう流れでちゃんとつながっていると思います。
ただ、僕らがやっているアースダイビングはもう少し違う、
そんな堅苦しくない、歩くことによる「発見」といった楽しみの中にあるものではありますが。

投稿者 fuRu : 2006年01月22日 01:17

こんにちは、fuRu さん。fuRu さんも宮本常一をお読みになっているのですか。そうですか。僕も仕事の関係から時々読むことがあります。彼の遺した文章は、著作集になっていますがものすごい量ですよね。周防大島の貧しい農家の出身ならではの視点がいいです。彼自身が歩き回ったのは、西日本が中心ですが、この本で紹介しているのはもっと違うところを歩き回った人たちです。東北を歩いたイザベラ・バードの『日本奥地紀行』についても、宮本常一が解説した文章を読んだことがあります。ちょっと面白い現象ですね。ところで、宮本常一は、膨大な写真も残しています。歩いて調査したときに撮影したものです。そして、飛行機からの景観についても、ものすごく関心を持っていたようです。もし、現在、宮本常一がこの世によみがえって、Google Earth とであったら・・・という想像をしてみました(^0^)。きっと、現代人以上に虜になったことだと思います。そして、翌日からは、ガンガン使いこなしていったと思うんですね。「 宮本常一とGoogle Earth」、なんだか面白い組み合わせです。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年01月23日 09:40

わきたさん
こんにちは
実は玉井さんが宮本常一の写真展の記事を書いておられます。
http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000165.html
この写真展は知らなくていけなかったのですが
写真集は本屋さんで手に取りました。
衝動買いしそうでしたが、その値段が歯止めに。
でも、いつかは手元に置いておきたい写真集です。
というわけで、宮本常一の手頃な写真集を探しているところでもあります。

投稿者 fuRu : 2006年01月23日 11:17

fuRuさん、玉井さんのところの情報をありがとうございます。
宮本常一については、データベースが公開されています。
http://www.towatown.jp/database/

画像もあります。もう少し宮本常一の撮影した意図のよう
なものが文字情報で提供されればよいのですが、それも
今となれば難しいのでしょうね。
宮本常一の最後のあたりのお弟子さんに香月洋一郎とい
方がいらっしゃいます。神奈川大の方です。この香月先生
が、『景観のなかの暮らし―生産領域の民俗』なんて本を
出しています。宮本先生直系の教えが、香月さんの研究
のなかには流れていると思います。

投稿者 わきた・けんいち : 2006年01月23日 13:47

わきたさん
このデータベースはすごいですね。
じっくり時間をかけて覗いてみます。
それから、主要著作年表の最後のある
「空からの民俗学」という本は僕も持っていますが
この本の中に飛行機に乗るときに窓側の席を選んでしまうというくだりがありまして
ははあ、僕もそうだなと思っていたところ
玉井さんもそんなことを書かれていた。
そしたら、今度はわきたさんもそうですとのこと。
というわけで、一つ前のコメントでいただいていた
「Google Earthと宮本常一」というのは興味深いですね。

投稿者 fuRu : 2006年01月23日 15:26

fuRuさん 写真サイドから宮本常一を知った僕にいつの間にか
自分の未知の分野である民俗学の流れまで教えて頂き感謝です。
お誘いいただいたアースダイビング大会は時間的に中途半端に
なりそうなので、今回は残念ながら参加できません。
また、機会がありましたら、ぜひと楽しみにしております。

投稿者 カーク : 2006年01月27日 08:48

カークさん
また別の機会にお会いできると思います。
そのときは、またよろしくお願いします。

投稿者 fuRu : 2006年01月27日 09:50