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2006年03月04日

「音楽」---小澤征爾、武満徹

[books ,音楽--music ]

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「音楽」
著:小澤征爾、武満徹 出版:新潮文庫
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今年は武満徹没後10年ということで
初台のオペラシティなどで様々なイベントが企画されています。
武満徹に関する著作もいくつか出版されるようですね。
武満の書く文章は詩的で独特のトーンがあってとっても好きです。
しかし、詩的な言葉はとても幻惑的で、そこにいる武満徹という存在も
ここになき者として、そこにいたりします。
一方で素顔の武満、等身大の武満というものは、この本のような対談(なまの言葉)のなかにいるのだと思います。
学生時代に読んだ文庫本を掘り起こしてきて、もう一度読んでみました。

いろいろな話が出てきますが
印象に残った下りを長いけれども引用します。

武満「このあいだある音楽雑誌を読んでいたら、日本のある作曲家が、最近の西洋の作品は面白くない。むしろ日本の作曲の方が世界的に超一流です、と喋っている。僕は実をいうとこういう発想はまず間違いだと思うんですよ。みんなが一致して超一流だと認めるような音楽は、僕には必要でないの、ほんとに。音楽はみんなにとって超一流である必要はないわけです。」

小澤「全くその通り。」

武満「ところがどうしても日本人は、「世界の小澤」、とかね(笑)、なんだとかすぐ言う。僕違うと思うんだよ。そんな万人にとって世界一流の音楽とか二流の音楽とかなんてね、ないよ。僕は、日本の作曲は今や超一流です、などと言ってるんじゃね、発想の根本においてどうしようもない時代錯誤だと思うね、はっきり言って。」

小澤「僕も音楽の本質は公約数的なものではなくて非常に個人的なもので成り立っていると思うんだよ。たとえば日本の音楽に例をとると、音楽は個人的なものだという本質に最も近いのは、鶴田錦史さんの琵琶の場合だよ。(中略)鶴田さんの場合は、音で教える(弟子に教えること-引用者注)。ところが弟子と先生がおなじふうには絶対いかない。おそらくあの弟子がいい弟子だったら、先生から離れてどっかへ行って独演会する時は、また違うふうに弾くだろうと思うよ。だけれどおんなじ曲なんだよね、それが。これは音楽の本質をよく表していると思うよ。(中略)音楽の場合、出てくるものが違っても、芯が音楽だったらいいという原則があるよね。だから幅がもっと広い(落語やシェークスピアに比べて--引用者注)。したがって音楽は、うんと個人的なもんだということになる。」

武満「パーソナルなもんだ。」

小澤「パーソナルな、しかも量では計れないものだよ。」

武満「僕もそう思うね。」

小澤「それが音楽のいいとこなんだ。(中略)一番大事なのはね、もしかすると、人間と音楽が根本的にどこでつながるかにあるんじゃないだろうか。」

ずいぶん昔なんだけれども、一度読んだいたはずなのに、ぜんぜん覚えていないものですね。
というわけで、このブログでも、音楽がとてもパーソナルなものだ、ということを書いてきました。

ジャズ・じゃず・Jazz--僕のジャズ原点
モーツアルト:ピアノ協奏曲27番--イングリト・ヘブラー

ですから、この対談のこの箇所に巡り会って、我が意を得たり、なんて気分になったのです。
しかし、個人的な体験と他人との共感というのはどうして成り立つのか。その点で、僕が書いてきたものはとても不十分なものでした。音楽が表現として成立するためには、他社と感動を共有しなくてはいけません。その点については小澤征爾の「人間と音楽が根本的にどこでつながるか」という一言に集約されているような気がします。

僕は、仕事で個人のお家の設計を依頼されてやっていますが、個人のお家というのもとてもパーソナルなものなんです。
それぞれの家族のための空間。それは、その家族のためのものです。
家族のための空間、それを実現するために職人さんに作ってもらう、その図面を描くこと。この作業を、僕は今まで何回かにわたって「翻訳」ということに重ね合わせて書いてきました。

「村上春樹と柴田元幸のもうひつとのアメリカ」--三浦雅士
「翻訳夜話」--村上春樹・柴田元幸

そこで考えていたことは、
そうした個人的な空間を共有するということだったのです。
いま、小澤征爾と武満徹という二人の巨人の言葉に
その灯火を見たと感じたのでした。

「人間と音楽が根本的にどこでつながるか」
この言葉は
「人間と空間が、あるいは建築が、根本的にどこでつながるか」
と、言い換えることが出来ると思います。

この問いかけというのは、日々続ける修行のようなもの。
設計を依頼してくださる方の「空間」を見極めることが出来るよう、見失わないよう、精進してゆく、日々の行い、これこそ設計という行為だと考えていますが、そのなかにあるのだと思っています。

○2月20日が武満の命日とはしらず、その日の記事は欠番になっていました。あら、不思議。

<蛇足>
5月28日に行われる「武満徹の宇宙」のチケットを手に入れた。


※新しいホームページで情報更新中!!

投稿者 furukawa_yasushi : 2006年03月04日 17:00

コメント

この記事はとても印象に残っていて、ずーっとコメントしようと思っていたのですが、考えているうちにどんどん月日が流れていってしまいました(苦笑)。

最近、「音楽はとてもパーソナルなもの」だということを強く感じた出来事があったので記事を書き、トラックバックしてみましたが、書いているうちにどんどん遠ざかっていってしまった感じです。

投稿者 kompf : 2006年07月13日 21:14

音楽に限らず、僕はすべての物が個人的な感性から始まると思っています。
個人的な感性というものが、どのように形成されたのかは
たぶん、まったく個人的ではないのだと思いますが。

投稿者 fuRu : 2006年07月14日 09:54