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2005年02月19日

Bridge---Sonny Rollins

[ジャズ--jazz ,音楽--music ]

Bridge---Sonny Rollins
1962年1月30日、2月13日、14日録音
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1959年9月。ちょうど29歳のソニーロリンズは音楽界から姿を消す。
雲隠れしている間、肉体的鍛錬、精神修行に励み、イーストリバーのウイリアムズバーグ橋の上でサックスを吹く日々を送っていた。そして2年が過ぎロリンズは再び人々の前に戻ってくる。
このレコードはその復帰第一作。「橋」というタイトルは日々の練習に明け暮れたウイリアムズバーグ橋にちなんでつけられた。
僕はこのレコードを聴きながら「記録されると言うことの残酷さ」について考えてしまった。

その話の前に、雲隠れするソニーロリンズの歴史について書いておこう。
ロリンズがデビューしたのは1949年で、バドパウエルとのブルーノートセッションや、マイルスとの「ディグ」の時期。この頃は、麻薬で捕まったりしたけれど二十歳の若者のみずみずしい演奏がこれらのレコードには記録されている。
その後は、なんだか獄中にいたりと落ち着かない生活を送るが、1953年にマイルスグループの一員として後日「Collectors Items」としてまとめられるセッションで活躍。なんとこのセッションでは、彼にとって神様であるところのチャーリーパーカーと初共演!(パーカーはテナーを吹いています)
しかし、あいかわらず麻薬の悪手を断ち切れない悩みをかかえたソニーは1954年の暮れに自ら麻薬更正施設に入所。このときが最初の雲隠れだった。
復帰のきっかけはクリフォードブラウンとマックスローチのグループへの入団。1955年11月のこと。
ソニーロリンズを語るときに、このブラウン・ローチのグループから始まる第二期といっても良い時期は、そのあまりの豊穣な世界に言葉を失う。だって、サキソフォンコロッサスを含むプレスティッジに残したレコードのどれもがすばらしいものだし、プレスティッジとの契約が切れたあとは、コンテンポラリーに「ウエイアウトウエスト」、ブルーノートに「第一集」「第二集」「ヴィレッジヴァンガードライブ」等々数え切れないくらいのすばらしい演奏を残してくれているのだもの。
そして、1957年のダウンビート誌の人気投票でスタンゲッツに次いで二位。批評家投票のニュースター部門ではどうどうたるや一位を獲得するのです。ソニーロリンズ27歳の年です。
ところが、順風満帆、これからだぞ、とみなが期待している1959年秋。ロリンズは再び姿を消してしまう。これが冒頭で触れた雲隠れ。

さて「橋 Bridge」と題されたレコード。まず言っておこう。競演しているジムホールが良い。ジムの演奏だけで名盤といわれてもおかしくない。テクニックはもとより、伴奏の時のハーモニーのセンス。やはり、この人はただ者ではない。ジョンアバークロンビーらが敬愛するのもよくわかる。

しかし、ロリンズは何かが違う。何かが違う、何かが違う、とつぶやいていて、さていったい違うというのは「何か」と違うということなんだが、それはいったい「何」か?その時、何かと比べている自分に気がつく。そして、それは、あきらかに「サキソフォンコロッサス」などのかつての名作の数々なのだが、その名作の数々と比較してしまう視線・意識。その視線・意識はどうやらとても強くて、いやいやとてつもなく強くて、それは僕という個人のうちに収まっていないくらいのベクトルをもって過去から未来へ、天空から地核へ貫いている、という事実があったりするのだ。
その事実をはっきりと感じたときに、僕はソニーロリンズもその視線・意識を、1959年に強く強く感じていたのではないかと思ったのだ。
ジャズとは「アドリブ」で、その場限りで消えてなくなる波打ち際の水の泡のようなはかないもの。そのはかなさがジャズの美しさでもあるのだが、レコードに記録すると言うことは「はかなさ」とは対極的な方法ではないだろうか?レコードがジャズの持っている、あのアドリブで生み出される雰囲気を、かなり的確に記録してくれることは疑いのない事実。ジャズが「レコード」という世界で愛され続けている原因はそこにあると思っている。
記録される「はかなさ」という矛盾を抱え込んでしまったジャズのレコード。そのレコードに神の領域にふれるような「はかなさ」を記録してしまったロリンズ。そこに、「記録されると言うことの残酷さ」が重くロリンズにのしかかってくる。

1959年の秋にロリンズに引退を決意させたもの。
そこにはジャズの世界の深淵が少し顔をのぞかせているような気がする。

<蛇足-1>
1959年の秋というのは夏前に発売されたマイルスの「カインドオブブルー」がすでに音楽界で話題になっていた頃だ。ロリンズも聴いていたに違いない。「カインドオブブルー」にも、神の領域にふれるような「はかなさ」が記録されている。

<蛇足-2>
オーネットコールマンも神の領域にふれるような「記録」を残している。
ロリンズと違っていたのは、彼の場合の神の領域への境界逸脱は確信犯だったということだろう。

<蛇足-3>
茂木健一郎のいう「やさしい問題」「むずかしい問題」にかさねて考えると、もっと我々の身近な問題としてとらえることが出来ると思う。ロリンズにとってジャズのアドリブは「やさしい問題」のごとく、縦横無尽、無尽蔵にわき出てくるものだった。それが、ある日からアドリブを「むずかしい問題」として意識してしまった。そのきっかけは、やはりレコードとして記録されてしまった過去のロリンズ自らの演奏であると思う。とすれば、「むずかしい問題」へとふり返るきっかけとして、レコードのような記録されたものが重要な役割を果たすのではないか。もちろん音楽だけではなく、こうしてブログなどで日々書き留めている文章も記録されるものであり、我々に「やさしい問題」を「むずかしい問題」としてふり返らせてくれるきっかけになるに違いない。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年02月19日 00:00

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トラックバック時刻: 2005年12月20日 00:01

コメント

いつも思いますけれど、fuRuさんの文って端整ですよね〜。・・・誰かさんとは大違い・・・。
くすん・・・あ、私は『ジャズとは「アドリブ」で、その場限りで消えてなくなる波打ち際の水の泡のようなはかないもの。』ここが一番印象に残ってしまいました。

ソニーの佇まいを見ていると、何だか学者っぽいというか、生真面目さを感じていたんですが、そうか〜〜。成程ね〜〜〜・・・。今日は雨なので、ちょっとCD探してみようかな。

投稿者 kazoo : 2005年02月19日 12:57

殿下部、部長さま
いつかはわたくしめも殿下についてエントリーを書きたいと思っていますが
なにぶん初心者なのでいつになることやらです。
さて、ソニーはきまじめ、って、同感です。
その生真面目なストレートさと、彼の暖かいペーソスが自然と溶け合ったのが
ソニーの音楽の魅力なんですよね。

投稿者 fuRu : 2005年02月19日 13:58

コメントありがとうございました。

無断トラックバックも、事後承諾になりますが
失礼しました。

ロリンズ自体は余り変わらないのですが、
周りの人や状況で色々変わって聞こえるような気がします。

そうですか。
ジム・ホールとはいけてますか。

もう少し聞き込んでみよう。

投稿者 神戸の茶碗屋 : 2005年12月20日 17:26

神戸の茶碗屋さん
TBとコメント、ありがとうございました。
テナーサックスとギターというのは
楽器としては相性が良いとは言い切れない。
でも、コルトレーンとケニーバレルの「Why was I born?」なんていう名演もあります。
で、ここでのロリンズとホールは彼らとは全く違う。
バッキングの考えが全然違う。
ビルエヴァンスに近いと言えるのですが
インタープレイということへの理解の深さが違う。
そこがジムホールのとっても面白いところ、聞き所だと思うんです。
僕はロリンズのこの復帰は、ジムホールなしではあり得なかったのでは、とまで思うんです。
というわけで、これからもよろしく願いします。

投稿者 fuRu : 2005年12月21日 00:11

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