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2005年11月18日

テリー・ライリー 最終日はトークセッションでした

[音楽--music ]

Terry Riley Tokyo 3days 2005
僕は勝手にそう呼んでいますが
正式には「パシフィック・クロッシング 2005」というフェスティバルの東京公演のことです。
東京での会場は目白の自由学園講堂で、
三日間にわたり、二日間はコンサートで
最終日(11月17日)は「トーク&デモンストレーション」でした。
僕は二日間のコンサートに引き続き最終日も会場に足を運びました。
コンサートでは定員いっぱいの(とは言っても300名ほどですが)
会場は人であふれていたのですが、
昨晩のトークでは50人いたかどうかという
とても家庭的な雰囲気でした。

僕も最前列に座って聞いていたのですが
覚え書きをブログに書きとめておきます。

はじめに、このフェスティバルの音楽監督である藤枝守さんから
今回の企画の経緯についてのお話しがありました。
アメリカの現代音楽を日本に紹介する場として
かつて、インターリンクフェスティバルというものがあったのですが
(そこで、クロノスカルテットも日本に初めて紹介された)
諸般の事情により1996年で終了してしまいました。
是非、そういう場をもう一度と、アメリカ大使館に働きかけて
昨年から「パシフィック・クロッシング」として始まったわけです。

つづいて、藤枝さんとライリーとの出会いの話に。
1977年に、三枝成章さんが野外での音楽イベントを企画し
そこにライリーさんが招かれたこと。
当時、三枝さんに師事していた藤枝さんがライリーさんの世話役を務めたこと。
この野外コンサートは、ちょっと伝説になりつつありますが、
テリー・ライリーがオールナイトで夜明けまで5時間以上の即興演奏を行ったコンサートでした。
その後、6年前(1999年)の神奈川県立音楽堂での
やはり、ライリーによる「Dream」の世界初演にも立ち会ったことから、今年70歳になるお祝いでもある今回の企画となったわけです。

さて、本題です。

1、ナショナルスチールギターについて

今回の演奏会のプログラムではデヴィッド・タネンバウムさんのギターが特徴的です。
上の写真がタネンバウムさんが使っていたギターと(たぶん)同じものだと思うのですが
フレットが見たことのない配置をしています。(写真はクリックで拡大します)
このギターは純正調のチューニングが出来るギターです。
(純正調については「純正調と平均律の基礎知識」-MAKIの音楽室へようこそ-参照)
ルー・ハリソンと言う作曲家に、
ギタリストであるタネンバウムさんが曲を書いてもらおうとお願いしたら
クラシックギターなどの普通のギター用の曲は書かないと言われ
探しているうちに見つけたのが、ナショナルスチールギター
このギターを改造して純正調のチューニングが出来るようにした(物理的に計算してフレットの配置を決めた)のがタネンバウムさんが使っていたギターなんだそうです。
そして、ルー・ハリソンの曲を聴いたライリーさんが自分でもこのギターのために曲を書こうと思ったと言います。ルーの音楽の響きに心を打たれたと言っていました。
スチールギターの歴史からして、アメリカのルーツミュージックが強く意識されていたわけですから、初日の演奏で感じたアメリカの大地というのは、当然と言えば当然だったのですね。
ナショナルスチールギターの誕生が1920年代。そして、コンサートの会場となった講堂の母体である明日館は1921年にアメリカの建築家F.L.ライトの設計で竣工した。藤枝さんから、今回の企画の意図がそういうところにもあるのだと言う話もありました。

今回の演奏曲ものくの中でこのギターのための曲として
「天から災いが降ってくるとき」があります。
実は、この曲は、ライリーさんがイラク戦争反対の非合法なデモに参加して逮捕されたときに
その罰金の対価として、作曲することを選んで作曲されたという経緯を持っています。
ライリーさんは、今アメリカ人が何を考えているのか、それを伝えたいというようなことを言っていました。
また、今回の企画のスポンサーはアメリカ大使館です。
日本在住のアメリカ大使は、芸術の振興のためとして、こうしたアーティストのリベラルな考えや表現も許容されるという判断をされたそうです。
アメリカという国の評価されるべき一面がこういうところにあるのではないでしょうか、と藤枝さんは付け加えていました。

2、作曲のプロセスについて

ライリーさんはバークレイ郊外に「ムーンシャイン・ランチ」と名付けた農園をやっています。
そこでは、朝の日課として音楽の練習(最近は歌の練習だそうです)をするのですが
ライリーさんが練習するときにだけ顔を出す野生の七面鳥の話などももりこみながら
日々の練習(practice )が演奏や作曲に反映されると言うお話しをされました。
「音楽は生活・習慣の経験の結果である」というラリーさんの言葉からは
仏教的な世界観さえ感じます。

また、今回はたくさんのスコアを持ってこなかったこと。たくさんのスコアがあると大きなものを見失うことがあると言うこと。少ないスコアを使って、共演者を信頼すると言うことが言われました。
この信頼と言うことは、「何が起きても大丈夫」というような互いの信頼関係で、これは大切なキーワードだと思いました。そして、その信頼のためでしょう、やはり「practice 」が必要であるということ。

作曲のプロセスについては最後に出た質問へのライリーさんの答えが補足してくれました。

質問は
「フレキシブルマインドのような他の人との共演での作曲したものと各パートの即興はどのようになっているのでしょうか?」というもの。

ライリーさんの答えを書きとめておきます。

マイケル・マックルーアの詩を読んでいて、それが6から7のセクションに分かれていることに気がついた。
それぞれのセクションに音楽を当てはめてみることを考えた。
それで出来た2頁ほどの楽譜を各演奏者に渡し
全体の流れについて説明、リハーサルを行い、うまくあわないところは各参加者の意見により修正してゆく。このプロセスは彫刻を作り出してゆく作業に似ている。最終的にどうなるかわからないかたち(shape)であるということ。
リハーサルの時には、ソロと伴奏の関係や、メインとなる楽器のことなど言葉で指示したが、それらは楽譜に書かれていることではなかった。
いままで、この「フレキシブルマインド」という曲は弾き語りでしか演奏したことがなく、今回のようなアンサンブルという試みは全くの初めてだった。それでも、2回か3回のリハーサルでひとつの形が出来上がり、本番になったそうです。

11月16日の演奏を聴かれた方は、びっくりするでしょう。
あのすばらしい演奏が、そうしたプロセスで出来上がったということに。

そのためには、演奏者の技量が必要とされると思いました。
その技量というのは、前向きな意識に支えられた「practice 」ではないかと。
それは、言葉を変えれば、各演奏者が自立した存在だったと言うことだと思います。
その自立した存在を信頼し尊重する、そういう関係によって、あの演奏はあの場所で現実のものとなったのです。

テリー・ライリーの音楽に共感するのは
そこでは、自由な参加が認められていることです。
In C」について書いたときも、誰もが参加できる音楽の喜びについて書きました。
そして、僕の分野である家づくりも同様に参加のプロセスを取り込んで進めてゆきたいことも書きました。
しかし、そこで書いたことに大きく抜け落ちていることがあったのです。それは「practice 」ということです。

「practice 」というのは、技術的に熟練していると言うこと、熟練するための練習ということですが、ライリーさんの言葉からは、「practice 」へ向かう意志というものの大切さを感じました。
ですから、「practice 」が大切だと言っても、技術的にうまいか下手かが大切なのではなくて「practice 」へ向かう意志が一番大切で、これがなくては「参加の自由」もありえないのです。
つまり、「参加のプロセス」と言っても、参加者の前向きな動機付けがなければ、そこには醜悪な依存の関係しかうまれないと言うこともあるでしょう。もちろん、僕が理想としているのはそういう関係ではありません。各自が自立した参加の関係。各自が自分で責任をもてる自立した依存関係です。
そのためには、どうしたらいいのか。僕は、少しでもライリーさんのオーラからそれを感じ取りたいと思いました。

○「賢者の手---テリー・ライリーのピアノ」(11月15日)
○「ビート経文--テリー・ライリーとビート詩人たち」(11月16日)

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年11月18日 12:00

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コメント

ウロ憶えですが、クロノスカルテットが初めて来日したとき、わたしは
聴きに出かけてますので、ひょっとするとそれが「インターリンクフェス
ティバル」と呼ばれたコンサートだったのかもしれませんね。もう、ずい
ぶん昔のことです。

投稿者 Chichiko Papa : 2005年11月18日 17:22

Chichiko Papaさんは クロノスの初来日の時を聞いておられるんですね。
僕は、たぶん3度目の来日だったのかな。
文化村のオーチャードホールで聞きました。
その時は、佐藤聡明さんの「夜へ」がたしか日本初演だった。
とても綺麗な曲で、CDが出たら買おうと思っていて、数年後に手に入れました。
クロノスもチェロが変わってから、あまり熱心に聞かなくなりました。

投稿者 fuRu : 2005年11月18日 17:40

2日目、3日目は仕事がらみのコンサートとぶつかって行けなかったんですが、こちらで拝見して行った気になりました(笑)。
ところで「夜へ」の初演の時は、僕も行っています。
しかし不思議ですよね。仕事では(ほかでも)絶対に会うことがないだろうというfuRuさんと、実はあちこちでご一緒していて、ネットでつながるというのは。

投稿者 at.yamao : 2005年11月19日 22:08

at.yamaoさま
僕の稚拙な記事で「行った気になりました」なんて言われると恥ずかしいばかりです。
クロノスの「夜へ」の演奏は,今でもその感激が思い出されます。
あの場所におられたんですね。ほんと,不思議な感じがします。
今度こそ、どこかで、すれちがうんじゃなくて、お会いしてご挨拶させていただきたいと思っています。

投稿者 fuRu : 2005年11月20日 01:01

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