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2006年03月07日

「ふりかえったら 風-3」---北山修

[books ]

「ふりかえったら風--3」
著:北山修 出版:みすず書房
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結局、三冊の対談集を全部読んでしまった。
心理学とか精神分析とかには
昔から興味があったんだけれども、
それだけじゃなくて
やはり、僕は北山修が書いていることに共感しているんだということが
三冊読んだらわかった。

この対談集は、精神分析医としての対談(専門書の企画)も含まれていて
一般的ではないかもしれないし、やはり興味があるとは言っても
こういう世界の門外漢としては、理解を超えている部分もある。
そのなかでも、九州大学の学生との対話には
「ビーイング」と「ドゥーイング」という話が出てきて興味深かった。

これはね私の人間観だけれども、生きていることって二つに分解すれば、「ビーイング」と「ドゥーイング」に分かれるだろうと思うのですよ。ビーイングの”そこにいること”っていうのは生きていること、息をしていることで、このビーイングだけでは、私という感覚が非常に漠然としてくる。何かドゥーイングで差異を作って、やっていかなくてはいけない。そうすると、ドゥーイングという部分には非常に強いパフォーマンスの意識が生まれて来るのではないですか。人前意識とか、競争意識とか、舞台感覚と言うのかな。そこで僕は芸能人というモデルで考えるとすごくぴたっとくると思うのだけれどもね。舞台の上だと思うんですよ、人生は。で、ドゥーイングの部分は、皆さんの器用さ、家に帰ってもいい子をやり、いい奥さんをやり、いい社員をやり、いいお父さんをやり、みたいなところで、もう、すごく息苦しい舞台にいるんですよ。いわゆる劇場社会といわれるものにどんどんなりつつあって、この進行はもう、止められないと思うんですね。 まあ、日本人は日本人をやるってことかな。日本の若者をやるってこと。それで、仕方なしのパフォーマンスの競争だから、「ウケることが大事」ってなっちゃうじゃない?評判がいいってことになっちゃうじゃない。

北山は我々が芸能人化されっちゃっているという。
常にパフォーマンスを求められる舞台にたたされていると。
でも、舞台には楽屋が必要だともいう。
それが、「ビーイング」の大切さだ。
「ウケることが大事」が「ウケることだけが大事」になってしまいがちなこの世の中で
ウケてもウケなくても、そこにいるということをそのまま受け入れてくれる場所。その大切さ。
そして、それは、実は住まいにもっとも大切なものなんだと思うのだ。

「ドゥーイング」の建築と「ビーイング」の建築。

商業建築などは
人目をひくことが大切だから、やはり「ドゥーイング」の建築。
やはり、住宅は「ビーイング」の建築だろう。
もちろん、「ドゥーイング」の建築にも「ビーイング」は必要だし
「ビーイング」の建築にも「ドゥーイング」は欠かせない。
大切なのはバランスということ。

なんだかよくわかんないけれども落ち着くね。

自分の設計した住まいに、もしそんな言葉をいただいたら
それに勝るほめ言葉はない。
それは、きっと、「ビーイング」の空間として
人をうまく受けいれることが出来たあかしだ。

しかし、この「ビーイング」というものの大切さを
人に伝えるには、その場に立っていただく以外に良い方法がない。
伝える方法とはメディアである。
メディアで建築の「ビーイング」の大切さをいかに伝えるか。

ガストン・バシュラールは
文学でそれを伝えようとしていたんだと思う。

「心を生みだす脳のシステム」--茂木健一郎

メディアにのった情報は爆発的に広まる現代。
メディアにのらないと人にほとんど伝わらないという現代。
建築の「ビーイング」の大切さを、少しでも伝えてゆきたい。

「ふりかえったら 風-1」---きたやま おさむ

投稿者 yasushi_furukawa : 2006年03月07日 09:40

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コメント

これは2つとも大事なことでしょうね・・・住宅も。
ビーイングを伝えようとすること自体、ドゥーイングですし・・・。
インプットとアウトプット、どちらかがかけてもダメ・・・バランスを崩すと思います。
ブログをやっていること自体、その2つを考えていることのように思います。
2つあるからいろいろ考える・・・考えることが大事ですよね。

投稿者 伊礼智 : 2006年03月07日 22:08

伊礼さん コメントありがとうございます。
でも、今の世の中って、ドゥーイングに片寄っていると思いませんか?
みんな、必死になって、ドゥーイングしなくちゃいけないと思いこんでいるような。

今回の記事は、先の吉村順三建築展のシンポジウムで、植田実さんが言っていたことと
僕のなかでは重なっているのです。
○「吉村順三の現代的意味」
http://af-site.sub.jp/blog/archives/2005/11/post_416.html

ビーイングの建築の大切さって
これ見よがしに際だつような仕掛けではなく
普通に意識させないところの工夫とでも言ったらいいでしょうか。
そして、その大切さは
僕らが一番忘れてはいけないものだと思うのです。

で、伊礼さんの言われるとおり
バランスが大切。
ビーイングをドゥーイングする、みたいなことが
求められるのだと思います。

さて、精進、精進。

投稿者 fuRu : 2006年03月07日 22:57

本当に上質な、強さを持った、普遍の域まで達したビーイングを目指さなきゃ、って思いました。
精進、精進。

投稿者 some ori : 2006年03月07日 23:54

「ビーイング」と「ドゥーイング」。
きっとこのバランスが難しいんですね。
古川さんの文章を読んでいて・・「苦しい時」って「ドゥーイング」に疲れている時なのかな・・
って、思いました。
知らずに舞台に上がっていて必死になって。
楽屋・・安息の時間や場所さえ忘れてヘトヘトになって。
建築のことは全く分かりませんが
空気、流れる風。
疲れたときは窓を開けて深呼吸です☆

そうですね!
ガストン・バシュラールは
建築の「ビーイング」の大切さを
文学で伝えようとしていたんですね☆

投稿者 ヘルミーネ : 2006年03月08日 08:20

some oriさん
僕も負けずに、精進、精進、です。

ヘルミーネ☆さん
>空気、流れる風。
>疲れたときは窓を開けて深呼吸です☆

そうですね。
ほんと、そういうささいかもしれないけれども一番大切なことが
うまく働いてくれる(機能してくれる)ような、そんな工夫も
住まいを、
「ビーイング」として僕らを受け入れてくれるような場所にしてくれるんだと思います。
バシュラールは、人が求めている場所というものを
文学を引用して語っています。
広々しているだけが良いわけじゃない。
狭い押し入れのような空間も、時には人を和ませるとっても大切な場所なんだ、というような。
結局、建築というものは技術で出来るあがるのですが
こうあって欲しいという思いが先にあるわけで
これは、前川國男展の記事でも書いたことなんですが
その思いこそが大切なんですよね。
その思いは、とても個人的な「ビーイング」から発生していると僕は思っています。
だから、僕にとって建築は「ビーイング」から始まるんです。
もちろん、伊礼さんが言うように「ビーイング」を伝えるということも「ドゥーイング」ですから
「ドゥーイング」も大切。
バシュラールが本を書いたというのも「ドゥーイング」ですよね。
僕らがブログをやっているのも「ドゥーング」。
しかし、そこには「ビーイング」への眼差しがなければならないと
僕は考えていいます。

投稿者 fuRu : 2006年03月08日 09:44

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