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2006年04月08日

Saxophone Colossus---SONNY ROLLINS

[ジャズ--jazz ]

Saxophone Colossus---SONNY ROLLINS
1956年6月22日録音
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ソニーロリンズはその最初から
そこにあるべき音を知っていた。
このレコードは、その「確信」によって存在している。
あり得ないほどの「確信」に満ちている。

プレスティッジというレーベルは
ジャズの世界では有名であるが
今時のレコードと違い
そこに企画や制作の緻密さ、プロデューサーの強い意図などはなく、
普段クラブで演奏しているままに
スタジオで演奏したものをそのまま垂れ流し的にテープに記録していた。
(一説によるとリハーサルすらほとんど行われなかったという。)
だから、まずはクラブで評判の演奏者を見つけてくれば
それが企画であり制作意図であったわけだ。
よって、そこで作られるレコードも念入りに作られたというものはない。
というよりも、プレスティッジにとって、ジャズのレコードというものは
そういうもの、つまりはクラブでの演奏の再現=記録だったのだ。
それ故に、ジャズの息吹がリアルに記録されているのが
このレーベルの魅力でもある。
その辺のことは、マイルスのプレスティッジにおけるマラソンセッションを、同時期のCBSの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」と聞き比べるとはっきりとわかる。
(拙記事「'Round About Midnight--Miles Davis」参照)

それで、このレコードである。
これは、僕のジャズの原点であるところの一枚なんだけれども、もちろんこのレコードを聴いた時(1980年)には、レコードというものはマルチトラックで、何度も何度も繰り返し繰り返し念入りに録音するものになっていた。何で、そんなに手間をかけて録音していたかと言えば、そこで記録される音楽に一つの整合性をもたせたかったからに他ならない。
もちろん僕の耳も、そういう音楽を普通であるとする耳になっていた。
だから、古いジャズのレコードは、よりいっそう新鮮に僕の耳に響いたのだ。
その新鮮さには、なにかしら不自然でぎこちないもの、というニュアンスも含まれていた。
ところが、このレコードはどうしたことだろう。
入念に計画されたような整合性のある音楽が、確かな確信のもとに演奏されているではないか。
その整合性は、整合性という意味では、マルチトラックで試行錯誤して生まれてきた整合性、たとえばスティーリー・ダンの「彩--aja」と基本的には何ら変わることのないもの。過不足なく、一つ一つの音が、それぞれの意味を持ってあるべき場所にちゃんとある、そんな整合性に満ちた音楽がここにある。

だから、たとえば同じロリンズならば、ブルーノートの第2集のようなはちゃめちゃさがない分、ちょっとよそよそしいとさえ感じる、そんなレコードなのだ。
それが、そのプレスティッジというレーベルに録音されたというのが、なんともすごいことなのだ。
そこに、このレコードの奇跡がある。

その奇跡をうんだロリンズの確信は、すでにデビューの時から、荒削りながらしっかりとあった。


The Amazing Bud Powell, Vol. 1
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Bud Powellがブルーノートに吹き込んだ演奏の最初期のもの。
1949年8月9日のセッションにロリンズは参加している。
たぶん、ソロをとってる演奏としてはデビュー録音だと思う。
そして、この頃からロリンズの確信はちゃんと演奏のなかにある。

しかし、デビューから確信に満ちているロリンズは
その後、大きな途惑いのなかに身を隠してしまうことになる。
(拙記事「Bridge---Sonny Rollins」参照)
途惑い、つっかえつっかえしながら、手探りで次第に確信をつかんでいった
コルトレーンとは、なんと対照的なのだろう。

二人のサックスの巨人は
演奏も対照的だが生き方も対照的なのだ。

投稿者 yasushi_furukawa : 2006年04月08日 13:25

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