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2006年06月27日

COLTRANE---John Coltrane

[ジャズ--jazz ]

COLTRANE---John Coltrane
1962年4月11日、6月19日、20日、29日、9月18日録音
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ChinchikoPapaさんが「マイ・フェイバリット・コルトレーン。」として「Transition」について書かれていた。
それを読ませていただいて、さて、では、僕にとってのベストは何だろうと思ったら、このレコードかなと思った。

1961年、インパルスに移籍。アフリカブラスセッションやヴィレッジヴァンガードライブなどを経て、後に黄金のカルテットと呼ばれるメンバーでのデビュー作である。
これ以降、コルトレーンは疾風怒濤の快演や怪演(?)を繰り広げる。
ただ、そうしたコルトレーンの築いた世界の広がりと深みを知っていると、このレコードはいささかオーソドックスすぎて、物足りないものに聞こえるのかもしれない。
よって、フアンといわれる人たちには、あまり評価の高いレコードではなかったりする。

しかし、冒頭のベースの音が鳴った瞬間から、このレコードに封じ込められた確かな世界が、目の前にめまぐるしくあふれだし、広がってゆくのに身を任せることの、なんと快いことだろうか。ギャリソンがこのカルテットにうまくおさまったということが、その後のコルトレーンの世界の礎となったというのは誰もが認めるところだろう。

一方、コルトレーンは、口いっぱいに含んだ空気をマウスピースに送り込み、舌を広げたり伸ばしたりしながらリードを自在に操る。

楽器というのは面白いもので、きれいな音を出すために作られたのではあるが、ちょっとイレギュラーな演奏をすると、面白いトーンが発生する。そんなのノイズだ、耳障りなだけだ、といって忌み嫌うひとも多いが、ジャズという音楽では、昔からそういうノイズで遊んでいた。演奏の合間に「おかず」として入れてアクセントにする。そういう遊び心がジャズだったりするわけなんだけれども、それを遊びではなく、つまり、おかずではなく、主食であると断言した人が、オーネット・コールマンだ。
そして、実はサックスという楽器こそが、もっともノイズを自在に操れる楽器であったという核心にたどりつく。また、平行して、レコードに記録されることによってノイズに意味が与えられるようになったという背景も忘れてはいけない。

コルトレーンの晩年のすごい演奏の数々を、楽理や理屈で丸め込もうとしても、それはそれで何か見つかるのだろうけれども、それだけでは、その実態を取りこぼしてしまうことになるだろう。逆に、精神論で語っても足りない。
そこで、忘れちゃあいけないと思うのが、マウスピースを操る技術。
正確に言うと、リードを操る技術。
自在なノイズ発生装置としてのサックスという楽器。
コルトレーンのマウスピースを操る技術ってものすごいものだと思うのだ。
その自在さこそがコルトレーンという人であるし、その演奏の魅力だと僕は思っている。

ヴァンガードのライブでは、まだ試行錯誤状態であったものが、ここにきてひとつのかたちを持って僕らの前に現れていると思う。そうしたテクニックを感じるのには、このレコードが良いと思う。

もし、コルトレーンを聴くときの最初の一枚ということを聴かれたら
「バラード」よりも。こちらをすすめる。このレコードに感じるものがあれば、あなたはきっとコルトレーンの広大な世界を旅する楽しさを約束されたようなものだからだ。

投稿者 yasushi_furukawa : 2006年06月27日 09:55

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