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2007年02月15日

現役の木馬道(きんまみち)@鳥取

[K100D ,c-森林をいかす家づくり--moriiki ,風景--landscape,cityscape ]


K100D 1/15s f6.3 iso400 10mm

鳥取で出会った現役の木馬道(きんまみち)です。
木馬道とは、山奥から材木を道路際まで運ぶための仮設の道。
木馬(きんま)と呼ばれるソリのような荷台に材木の載せてこの上を滑らせて運びます。
それにしても、この木馬道、まだ新しいですね。

木馬道の脇にあたらしい切り株がありました。

案内していただいたのが、ちょうど日曜日だったので、この木馬道をつくった樵さんには会えなかったのですが、話によると70過ぎの方が後継者もなく、お一人でやっているそうです。

木馬道と材木の搬出については
手元にある「岩波写真文庫」の復刻ワイド版「村と森林」をご紹介した方がいいでしょう。
この本は残念ながら、現在は発行されていません。専門で扱っている古本屋さんもネットを探すとありますが、「村と森林」は2007年2月15日現在、在庫なしでした。

まずは、大規模な木馬道をつくっている様子です。

そして、次の4頁は材木の搬出作業の様子。
木馬を引いている様子が写真で分かります。

材木を、設備投資をかけずに大量に搬出できる木馬道ですが
1950年代後半から1960年にかけて急速に減少してゆきます。
紹介した本文中にもありますが、材木の搬出作業がきわめて過酷な労働であったということに加えて、その時代に、そうした過酷な労働に見合う収入が望めなくなってしまったためです。

収入が減少したのは
1、切り出しやすいところにある樹齢の古い、つまりは価格が高い木を切り尽くした
2、外国材の輸入で価格的に太刀打ちできなくなった
3、建築用材だけではなく薪炭の搬出にも使っていたが、エネルギー革命で薪炭の需要が激減した
というようなことが複層的に関連していると思います。

というわけで、現在では木馬道をつくって材木を搬出するということは、まず行われなくなりました。

それがです。鳥取で行われていたんですね。
それも、つくったばかりという真新しい木馬道です。
鳥取環境大学の渡辺一正先生にご案内いただいたのですが、
これを見せていただいたとき、私は興奮のあまりに大いにはしゃいでしまいまして、木馬道を駆け上がっていってしまいました。木馬道はどこまでもどこまでも山の中へ続いていたのです。

渡辺先生によると、鳥取東部の山には伐採業(樵)を営んでいる人が3人ほどいるそうで、その3人とも70を越えられていて後継者無くやっておられる。

一人が、この木馬道をこつこつと一人でつくっている方。
もう一人が、索道、つまりはワイヤーロープを山中に張って材木を搬出する方。
そして、3人目が、高所伐採、つまりは木に登って伐採するという特殊技術で作業をしている方。

ご案内いただいた日が日曜日だったのですが、索道で搬出されている樵さんと運良くお会いすることが出来ました。

ワイヤーロープを山中にかけるなんて、考えただけでも大変ですが、それを70過ぎたご老人がお一人でやっておられるなんていうのは想像を遙かに超えてしまった世界です。しかし、この樵さんが若かりし頃には、想像を超えたものでも何でもなく、ちょっと大変だったでしょうけれど、それなりに普通のことだったんだろうと思います。この50年で日本がそれだけ変わってしまったということなんですね。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2007年02月15日 11:15

コメント

岩波写真文庫、とっても懐かしいですね。
わたしの親父がほとんど全巻そろえているのですが、親父の書棚を整理
するのが面倒かつおっくうで、そのままにしてあります。きっと、上掲の
「村と森林」もまじっているかもしれません。
それにしても、写真文庫のデザインフォーマットを見ただけで、懐かしい
子供時代の空気を感じてしまいました。

投稿者 Chichiko Papa : 2007年02月15日 18:13

Chichiko Papaさま
あらためて岩波写真文庫を見ていて感じたのは
発行された時期である1950年代後半の時代が色濃く写っているなあと言うことです。つまりは日本が高度経済成長をとげようとしている最中なんですね。激変の前の様子が写真に写っている。そして、その世界が今のこの時代とどれくらい変わっているのかということを見てゆくといろいろ興味深いなあと思いました。
今の日本が失ってしまったものがそこにはちゃんと写っていると感じます。それが何かといわれると、はっきりと答えられないのがもどかしいのですが。そういう意味でも、この写真文庫は再発行される価値が十分にあると思います。中には木村伊兵衛が担当している巻もあります。

投稿者 fuRu : 2007年02月15日 23:12

この木馬道を木をのせたソリが滑り降りるところを想像すると
なんだかジェットコースターのようですね。
スピードを調節できるようになってるのでしょうか。
人は乗らないのかな?
山は山にある方法でこのように昔から木を運んでいたのですね。
fuRuさんにとっては家を作る始まりの始まりを見たわけですね。

投稿者 reirei : 2007年02月16日 09:55

reireiさま
山から木を切り出す方法にはいろいろあって、でも、最近では、こういう手間暇かけるようなことはやらなくなりました。もっとデリカシーもなく、バッサバッサと木をなぎ倒して切り開いてゆくような方法が多いですね。デリカシーもなく、と書きましたが経済性に直結する効率からいいますと、そういう方法にしかならないというところ。でも、こうして木馬道を目にすると、なんて自然に優しいのだろうと思います。自然と共存して生きてゆく知恵。力ずくではない自然さが心を打ちます。
私は、こういう山、そして自然とのやさしい関係の中で家づくりをしてゆきたいと考えています。

投稿者 fuRu : 2007年02月16日 10:04

木馬道とはまた懐かしい。
小生が子供の頃(昭和25年ごろ)、ある時期、オヤジが木馬で木材を搬出していました。山のことですから、急坂もあって大変危険なので、木材と一緒に乗せてもらってジェットコースター見たいに滑り降りることは絶対させてもらえませんでした。
ところが、男の子は竹のそりを作って、大人のいないきんま道で滑り降りる遊びを発明しました。雪がなくても、そり遊びができるのだからたまりません。そりと一緒に滑り落ちるような荒っぽい遊びなので、ズボンの尻や上着の袖を破って帰っては、よく母に嘆かれました。なぜかこの遊びだけは女の子は参加していません。メンコとかコマ回しは女の子も少しはやっていたのに、今思えば不思議です。

投稿者 ユリウス : 2007年02月16日 22:43

ユリウスさま
木馬道で遊ばれたんですね。何ともうらやましい。
私は、奥多摩(東京都)の林業家のところで、丸太の搬出の手伝いをさせてもらったことがあります。その時は、丸太の先端にロープの付いたくさびを打って、馬の手綱を取るように斜面を滑りおろす方法でした。奥多摩の山は急斜面のところが多いためにこのような方法になるのだと思います。ただし、この方法は材木を傷めちゃうんですね。でも、とってもスリリングで楽しかったですよ。

投稿者 fuRu : 2007年02月16日 23:03