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2007年07月14日

「オウエンのために祈りを」---ジョン・アーヴィング

[books ]

「オウエンのために祈りを」
著:ジョン・アーヴィング 訳:中野圭二 出版:新潮社
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またしても、とんでもない小説を読んでしまいました。
ここにあるのは、「ガープの世界」でも「ホテルニューハンプシャー」でも「サイダーハウスルール」でもありません。数々のイメージが精密な細工で組み合わされている世界。そのパズルを解くような楽しさもあるのでしょうけれども、底知れぬ耳打ちに似たささやき声に耳を澄ませば、自分をはるかに超えた空間が暗黒の底のようにそこにあることを感じます。それ故に、とんでもない小説であると。
(以下、内容に触れます)

ひょっとして、この小説はストーリーはどうでも良いのではないかとも思えるのですが、だからといってストーリーがつまらないわけではありません。いくつかのエピソードが絡まり合いながら、物語の結末に向かって「落ちてゆく」さまは圧巻でさえあります。圧巻ではありますが、もちろん大河ドラマではありません。今までのように話は展開してゆきません、舞台もほとんど変わりません。語り手であるジョンのモノローグかと思えるような、その場にとどまっていることがこの小説の場所です。ですから、筋書きを言ってしまえば、なんともつまらない筋書きかもしれない。しかし、その「つまらなさ」ということがとんでもないところなんですね。
だから、読んでみるしかない。この小説ほど読んでみるしかない小説はないかもしれない。誰かに変わって読んでもらってあらすじを聞く、なんて、そんなことではなんにもわかりはしない、そういう小説です。

ヴェトナム戦争に向かってゆく、深みにはまってゆく、そういうアメリカという国の心理が、物語の背景として精緻に描かれていることが、ボディブローのように、読み進めるに従い効いてきます。
この長編を読み終わる頃には、我々は打たれ疲れてしまっているかもしれません。

ぼくがその十月にワシントンで見たのは、自分たちの国がヴェトナムでしていることに心底絶望したたくさんのアメリカ人だった。手前勝手に幼稚きわまりないヒロイズムにひたっているーーーつまり、自らヒーローになりたがっているアメリカ人もたくさん目にした。彼らは警官や憲兵と対決すればヒーローになれると思っているだけではなかった。彼らはその対決が、自分たちが立ち向かっているつもりの政治的、社会的システムの腐敗を暴くものだと勘違いしていた。彼らこそまさに後年、結局は反戦「運動」がヴェトナムから合衆国を撤退させたのだと考えた人々だった。ぼくが見たものは違った。ぼくはこれら多くのデモ参加者達の独善的正義感が、戦争を支持していた哀れな人びとの態度を硬化させるばかりなのを見た。それこそが、ロナルド・レーガンにーーー二年後の一九六九年ーーーあんなばかなことを言わせたのだ。ヴェトナム戦争抗議者は「敵に援助と慰めを与えている」と。

この本がアメリカで出版されたのは1989年。
翌年に湾岸戦争のきっかけとなったイラクのクウェート侵攻が起こり、1991年湾岸戦争勃発。
本書の内容に重なり、予言書めいた運命を背負った小説になったわけです。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2007年07月14日 22:30