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2004年12月08日

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」--J.D.サリンジャー(村上春樹:訳)

[books ]

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」
著:J.D.サリンジャー  訳:村上春樹
出版:白水社  定価:1680円(税込み)
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この本を読み終えたあとの言い様のない不安感。
あれはいったいなんだったんだろうか?
ジョン・レノンの命日(日付で)に覚え書き。

もうずいぶん前に読んだ本なのに
ずーっと気になって仕方がない、僕の中に巣くったこの感覚。

ここのところ、翻訳のことを考えて本を読んでいた。
「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」
「翻訳夜話」

それで、ついでにと思って読んだのがこの本。
そういえば、村上訳のサリンジャーも読んでいたので興味あり。

「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」
著:村上春樹・柴田元幸
出版:文春新書  定価:777円(税込み)
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この本は、村上春樹にとって「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という小説が
いったいいかなる小説なのかが、村上春樹本人の口から熱く語られています。
僕は、その熱さにびっくりしました。
そして、「キャッチャー」を読んだ時に感じたあの「不安」、
僕の中にはっきりしたかたちを持たずに幽霊のように浮遊していた
あの「不安」を、村上春樹の言葉は「くっきりと」描き出してくれたのです。

キーワードは「イノセンス」です。
「イノセンス」(innocence)=純潔。純真、天真爛漫、無邪気
罪のない子供のしぐさや行動に対して言われる事が多いのでしょうか。
この本が書かれた50年代では、「イノセンス」というのは克服されて大人になる。
そして大人になると「イノセンス」はもう役に立たなくなっている、という考えが支配していました。
ところが、サリンジャーは、そうではない、イノセンスとは大切なんだ、とこの本で別の価値観を提示したんだと、
そう村上春樹は言うんですね。(なるほどなるほど)
でも、村上は続けてもう一度ひっくり返します。ここがポイント。
長くなりますが「サリンジャー戦記」の中から引用します。

「村上:ところが、現在の社会においては、ぜんぜんそうじゃなくて、イノセンスというのはむしろ流行オルタナティブ商品として、圧倒的な勢いで組織に消費されているわけです。「イノセンス産業」みたいなものが白昼堂々とあるわけです。「星の王子様産業」と言ってもいいんだけれどもね。とくにニューエイジ関係にそれは顕著です。たとえばオウム教団の信者とか元信者とかを取材していると、かなりの知的な人たちがほとんどみんなノストラダムスの予言を信じているんです。何の疑いもなく。昔はいくらなんでもそんなことはなかったです。そういうのってまさに、「イノセンス産業」の成果としか言いようがないんですよね。方々で、ほとんどイノセンスの戯画化みたいなことまでおこなわれている。」

村上の現代社会へ向ける視線は鋭いですね。
ここからは村上の強い意志をも感じます。

引用を続けます。
「村上:僕は『キャッチャー』という小説が今でも若い人々に読み継がれ、評価されているのは、それがイノセンスを礼賛しているからじゃないと思うんです。そうではなくて、ホールデンという少年の生き方や、考え方や、ものの見方が、そういう時代的な価値観のシフトを超えて、優れて真摯であり、切実であり、リアルであるからじゃないかな。そして彼の語る物語=ナラティブが、人々が巨大なシステムを前にしたときの恐怖や、苛立ちや、絶望感や、無力感や、焦りのようなものを自然に呑み込み、ユーモアをもって優しく受け入れてくれるからです。」

ようするに、そういうふうに時代のパラダイムが転換したということ、
それゆえに、この時代の翻訳の意味があるということ。
パラダイムが転換したから、よりいっそう、この小説の価値がでてくる。
時代を超越した価値。

しかし、すごいこと、言っていますね。
「キャッチャー」の翻訳という経験があったから
あの「アフターダーク」も生まれたにちがいない、と思いますね。
村上春樹は着実に進化しています。

そして、ジョン・レノンの命日を思ってこのエントリーを掲載したのは
次の村上の言葉があったからです。

「村上:だからイノセンス自体は、この小説を読む読者にとっては、もはやキーポイントではないんじゃないかと思うわけです。(中略)それをあえてキーポイントにしちゃうと、チャップマンとヒンクリー見たいな犯罪に陥る可能性があるけれど、あの人たちはそういう短絡的傾向の因子を抱えてこの本を読むから、あっちのほうに行っちゃうわけで、普通の読者はそれとはぜんぜん違います。」

確かに、僕がこの本を読んだ時に感じたあの不安感は、
自分がまだイノセンスを抱えていた、いやイノセンスの中にいた時に社会に対して感じた、
あの言いようのない、どうしようもない不安感、
それが不意に自分の身体の中によみがえってくる、そういう不安感だったのだと気づいたのです。

もう40も過ぎれば、自分の中にあるイノセンスを相対化してみることが少しは出来るようになっています。イノセンスに呑み込まれて舵を取りそこなうということはもうないでしょう。
でも、そんな情緒不安定だった、「ある時期」の自分を「くっきりと」思い起こさせてくれたのです。

小説の面白さ、翻訳の奥深さ、村上春樹という小説家のすごさ。
そうしたことが、いっぺんに語られる、そういう本です。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と
「サリンジャー戦記」どちらもおすすめです。

ジョン・レノンの命日に。合掌。

投稿者 yasushi_furukawa : 2004年12月08日 09:35

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どうも生活動線上に肌の合うブックセンターがないと、とたんに本を読んだりということが少なくなるらしい。あまりにもランダムな配置だったり平積みの本にオリコンみたい... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年05月01日 00:09

コメント

トラックバックをいただいてからずいぶん時間がたってしまいましたが、どうもありがとうございました。

fuRuさんの記事はとても興味深かったです。

マーク・チャプマンのお話は、ホールデンを自分と完全に重ねあわせてしまうか、ホールデンを良き友人として捉えられるか、それくらいにしか感じていませんでした。
「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」を読んで、「キャッチャー」を、ホールデンを、「イノセンス」という切り口に重きを置いてみるようになって、fuRuさんと同じように感じるようになりました。

その他の記事も、まちづくりですとか都市デザインを志していたことのあるものとして(過去形でもないのですが)、たいへん興味深く拝見させていただきました。

投稿者 :・) : 2005年05月01日 00:31

:・)さん コメントありがとうございます。
「キャッチャー」については、いろいろな意見があると思いますが、村上春樹フアンとしては、村上春樹よりの見方になっちゃうんですね。自分でもそれを承知で、こういう記事を書いていますが、でも「キャッチャー」の影響力はやはりすごかった、それは文学の世界にとどまらずにですが、そういう、その影響力のすごさも村上春樹を通して僕は知ったわけです。

投稿者 fuRu : 2005年05月01日 10:28

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