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2005年01月03日

Silk Road--新シルクロード

[報道・TV--topics ,旅--travel ]

silk_road-title.gif

1995年8月23日夜半。僕は家人とともに西安の街にたどりつく。
西安からシルクロード、天山南路を通り、カシュガル、パキスタンへの旅が始まろうとしていました。

そして、2005年1月2日。
NHKの「新シルクロード」が始まりました。

10年前に僕はどうしてシルクロードへ行ったのだろう?
設計事務所の勤めをやめて、工務店への就職も決まり
その狭間に2ヶ月間の休暇を得て、僕らはどこかへ旅立とうかと考えていたわけです。
家人はすでにインドへの一人旅を経験しており
僕はいまだ日本から出たことがありませんでした。

そんな時に、高校のときの世界史の授業で
洋の東西の文化を結びつけた中央アジアの存在に大きな衝撃を受けた事を思い出していたのです。
西洋の文明と東洋の文明は、こんなにも違っているのに、それらがグラデーションのように中央アジアという場所でつながっているというイメージ。
そのイメージを思い出し、「よし、ゆくならシルクロードだ」となんの迷いもなく僕らは旅立ったのでした。

その15年前にNHKではシルクロードが放映されて大変な人気でした。
でも、どういうわけか、僕はその番組をほとんど記憶していませんでした。
その番組で記憶に残っていた唯一のものは喜多郎の音楽だったのかもしれません。
だから、旅行から帰ってきてあらためて見た再放送のシルクロードに僕はショックを受けました。これを見てから旅立っていたらどうなっていたのか・・・?たぶん、ちょっと違った結果が待っていたかもしれません。でも、何も知らず予備知識もなかったからこそ、飛び込んでいったその大地からは僕は計り知れない大きなものを受け取ったと思っているます。
僕らはシルクロード→パキスタン、そこからネパールへ飛んで、陸路でチベットへ入りました。
その旅行記を書こうとホームページを作りました。1996年の春のことです。
旅行記はいまでもホームページにあります。
チベットとシルクロードの旅行記

NHKのホームページには、25年前のシルクロードの記録も詳細にあって、たいへん興味深いものになっています。
今回の新シリーズは、前回とは異なり、東から西へむけて順に紹介されるわけではなく、あちこち飛んで紹介されています。どうしてそういう風な順番になったのか、その理由は定かではありませんが、25年前のシルクロードで(再放送で見て)印象深かった最終回のラストシーン。雪の降る、クンジュラーブ峠への道、パミール高原への道を見ながらの、「これから先へは行けない」というようなナレーション。僕らが旅行した時には、何事もなく(?)パキスタンまでゆく事が出来たわけですが、その直後には治安が悪くなり、通行が出来なくなったと記憶しています。現在はどうなんでしょうか、行けるのでしょうか、行けないのでしょうか。25年前、10年前、そして現在。その時間の流れと断絶を、こんなことから感じます。
それから、なんと言っても、カシュガルまで鉄道が開通したというのが驚きです。僕らが行った時には、コルラから先はバスに揺られて行くしかありませんでした。その道中の壮絶さは、昨日のことのように思い出されます。

さて、今回の新シリーズ。正月早々、ミイラだったこともすごいことですが、ミイラの保存状態が大変良いことが驚きでした。羊毛の織物もしっかりしていて、染色の赤い色が残っていたことがすごいなあと思いました。牛の皮で出来た靴もほとんどそのまま残っていましたしね。
シルクロード旅行中に聞いた話の1つに、シンジャン(新疆ウイグル自治区)はミイラの産地、というのがあって、その恐ろしく乾燥した気候条件は、ミイラにとっては、大変にすごしやすかった(?)のかもしれませんね。

さらに付け加えたいのは、今回のシリーズでは、音楽がなかなか良いのではないかということです。
ヨー・ヨー・マとシルクロード・アンサンブルの手になる音楽は
本放送の前日(元旦)に特集で放映されていましたが、その音楽が生み出される様子がドキュメントされていて大変に面白かったです。

これからの放送予定を覚え書きしておきます。(NHK総合)
--放送予定が一部変わったので訂正した(2005.2.23)

<「新シルクロード」の記事>
○第10集--12月11日「西安 永遠の都
○第9集--11月20日「カシュガル〜千年の路地に詩(うた)が流れる
○第8集--10月16日「カラホト 砂に消えた西夏
○第7集--9月18日「青海 天空をゆく
○第6集--6月19日「敦煌 石窟に死す
○第5集--5月17日「天山南路 ラピスラズリの輝き
○第4集--4月17日「タクラマカン 西域のモナリザ
○第3集--3月20日「草原の道 風の民
○第2集--2月20日「トルファン 灼熱の大画廊
○第1集--1月2日 「楼蘭 四千年の眠り」

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年01月03日 11:58

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» 桜蘭遺跡の4,000年前のミイラ from 「新シルクロード」雑感
1昨年、私がウルムチの「新疆ウイグル自治区博物館」を見学した時の最大のショッキングな展示品は桜蘭遺跡から発掘された保存状態の大変良い4,000〜3,000年前のミイラであった。日本でもかつて展示されて大騒ぎになったこともあるミイラが、目の前のガラスケースの中で無... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年01月29日 15:02

コメント

あけましておめでとうございます。
シルクロードの記事があったので思わずコメント。
実は私も15年前1か月ほどシルクロードを旅行したことがあるのです。なので、旅行記の敦煌やトルファンの記事は、とても懐かしく感じました。
振り返ると、我ながら大学生時代の若さも手伝っての無謀な旅行だったなーと思いますが、あのゴビ砂漠の風景は忘れられないですね。
パキスタンまで行かれたそうですね。凄いです!私の場合は、当時の政治状況から国境越えは危険だといわれ断念した覚えがあります。クチャまでは行きましたが。。。

投稿者 sunneko11 : 2005年01月04日 16:01

みなさん、実際にシルクロード行かれてるんですね...。旅行記も拝見させていただきました。

私も昔のシルクロード放映時は、遊んでばかりでまじめに見ていなかったのですが、父が好きで欠かさず見ていたようです。当時NHKから出ていた書籍などがまだ本棚に並んでいます。

私も初日のあの少女のミイラには驚きました。ミイラというか...お人形のようでしたね。まつげの長さと鼻の高さにびっくり!確か昔のシルクロードの時にもミイラが出てくる回がありましたよね。珍しくその回は見たことがあって印象に残っています。

今回はかつてのシルクロードシリーズも同時に放映されるとのことなので、楽しみにしています!

投稿者 raizo : 2005年01月04日 21:34

sunnneko11さんも行かれたんですね。
それも僕なんかよりも5年も前に。
そうでしたか、国境越えはその時は出来ませんでしたか。
しかし、クチャに行かれているのはうらやましい。
事前に全く調べていなかったので、クチャは通りすぎてしまいました。

raizoさん こんにちは
ミイラ、綺麗(?)でしたね。ほんとに四千年前だなんて信じられないくらいの保存状態でした。
僕はトルファンでミイラを見ましたが、何かそこに放置してある感じで
埃をかぶっていました。10年前はまだまだ中国も文化的な意識はそれほどでもなかった。一方国境を越えて入ったパキスタンでは、そうした遺跡などの文化的な遺産に対して、かなり高い意識で博物館に陳列されていたのが印象的でした。

投稿者 fuRu : 2005年01月05日 10:28

あけましておめでとうございます。
番組は私もみましたが、今回は本当に音楽がいいですね。
喜多郎のシンセは耳には残ったけど心には響かなかった。
今回はヨーヨーマが各国の音楽家に煽られているところが期待できそうです。
個人的には空撮の映像撮影にモーターパラグライダーが使われているところがうれしいです。まさに鳥瞰的視野ですね。

それにしても、シルクロードを旅されたとは羨ましい!

投稿者 Kurita : 2005年01月05日 15:59

kuritaさま あけましておめでとうございます。
空撮の映像もよかった。
そして、今回はCGの使い方が控え目で
あくまで実写映像の力で番組が作られていたのが良かったと思います。
音楽はクロノスカルテットが試みていたことをポピュラーにした感じがします。でも、いいなあ。サントラ買ってしまうかもしれません。
今年もよろしくお願いします。

投稿者 fuRu : 2005年01月05日 18:12

TBありがとうございました。

シルクロード、俺は逆にパキスタンから中国に入り、カシュガル・トルファン・ウルムチを経て西安に入りました。
真冬やったんでアホみたいに寒かったですが、その分観光客がほとんどおらず、ドミトリーも半額な上に独り占め、いい旅行でした。

これからもよろしくお願いします。

投稿者 パルプンテのぶ : 2005年01月12日 01:12

パツプンテのぶ さん こんにちは
上海駐在とのこと。おいしいものがたくさん食べられそう。
パキスタンからの中国入りというのはどんな感じなんでしょうか。
僕らは中国からパキスタンへ入りました。
パキスタン側の税関のあるスストでのパキスタン兵の陽気な笑顔が忘れられません。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。

投稿者 fuRu : 2005年01月12日 09:50

今回発掘されたミイラは、昔の映像に映っていたミイラと比べて、ミイラとは思えないほどリアルだったのが、びっくりしました。今はカメラがよくなったので、昔以上にきれいに撮れるのかもしれませんが。

発掘していた人たちが、淡々と、緊張で手が震えるということもなく、ミイラを掘り出していたのがとても印象に残りました。

これからの新シルクロードが楽しみです。

投稿者 frugel : 2005年01月12日 22:20

frugel さん こんにちは
多くの人があのミイラの綺麗さにびっくりしているようです。
あのミイラの今後が気掛かりです。

投稿者 fuRu : 2005年01月13日 10:28

 60数年ほど前小学生だった私は、父の仕事の関係でシルクロードの東站、当時内モンゴルの首都 張家口市に5年間住みました。3月から4月にかけて駱駝の隊商が幾組も数百キロもの荷をつけて街道を通り過ぎて行きました。この市の郊外に毛皮の市が立ち、年一度の大賑わいでした。学校帰り黄砂降る中に座り、憧れと畏敬の眼で駱駝隊商をみつめながら、この風が止むと五月晴れがくると春が待ち遠しかったものです。
 黄砂の風は西から東へと、数千キロもの遥か楼蘭の上を通りぬけてきたことでしょう。
 今回の4千年前の楼蘭のミイラの女性たちは、先祖がはるばるヨーロッパから移動して、ここに定住し農耕していたとのこと、地球の自然と人類史の壮大なドラマに感動しました。
 保存状態もよく毛糸の帽子目深く被り、鳥の羽で飾られ、しかも美人でポシェットには古代小麦の種まで入っていたとは想像外の驚きでした。60台の年輩の婦人は玉と青銅の飾りをつけ、それが見事に現われ、砂の中で発掘に携わる人々の苦労が偲ばれました。
 ヨーヨーマさんのあの新テーマー曲は、東ヨーロッパからアジアかけてすべての民族の興亡の歴史と今に繋がる生活の息吹と風を感じさせます。
 中国に憧れ戦後6回ほど旅行しましたが、楼蘭までは普通の人はとても行けません。まだ見ぬ新しいシルクロードの素晴らしさを、これからも毎回楽しみにして、DVD録画しようと思っています。

投稿者 志摩ひろみ : 2005年01月30日 23:32

志摩ひろみさん こんにちは
60年前ですか。僕が知っている中国・シルクロードとは何から何まで違っていたのでしょう。
僕は今年で42歳になります。40年生きてきたということが僕の中でとても重要なことに感じています。年を取らないと見えてこないことがある。時間というものの大切さを感じています。
60年という歳月を通してみてこられた志摩ひろみさんの言葉にはとても素敵なものを感じます。
コメントありがとうございます。

投稿者 fuRu : 2005年01月31日 10:33

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