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2005年10月28日
Eventyr---Jan Garbarek
[ジャズ--jazz ]
Eventyr---Jan Garbarek
1980年録音
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音楽を聴いているとき
ある風景が目の前に現れることがある。
それも、その音楽を聴くと、決まって必ずその風景があらわれる。
友人が持っていたこのレコードのジャケットを見たときに
僕の中の何かがくすぐられた。
思えば学生時代。今から20年以上前のこと。
僕の愛聴盤となったこのレコードは
今でも、僕にある風景を想起させる。
なだらかな灌木が生い茂る、ずーっと向こうまでつづく丘。
その向こうには暗雲たれ込めた、真っ黒な曇り空。
僕の顔はミゾレ交じりの雨で凍えている。
灌木は「ヒース」だろうか?
後年「ブロンテ姉妹」を見たときに
軽いデジャヴとともに僕の中に現れたミゾレ降るヒースの丘。
ヤン・ガルバレクはノルウエイの生まれだ。
「ブロンテ姉妹」はイギリスの北の大地が舞台だ。
ヤンの目の前にもヒースの丘があったのだろうか?
音楽をとおして伝えられる「場所への愛」。
そういえば、チャーリー・パーカーを聞いていて感じるのは
この音楽は「場所」のない音楽だ、ということ。
たとえば、ブルースはミシシッピー川という象徴的な場所を持っている。
ジャズにはそうした場所がない。
もちろん、ニューヨークのクラブが、その場所だともいえるのだが
棒が言いたいのは、人工的につくられた場所ではなく
文明よりも先にあったような、そんな場所だ。
そんな場所には風景があり、そして、「場所への愛」がある。
ヤン・ガルバレクが、ジャズの世界から解き放たれるために、そして、コルトレーンの影響から解き放たれるために「ヒースの丘」の風景、「場所への愛」が必要だったのではないだろうか。
音楽の中に生きる「場所への愛」。
<蛇足>
このレコードで僕は、ジョン・アバークロンビーというギタリストを知った。彼はNY生まれだから、もちろん「ヒースの丘」は知るはずもない。もう一人のメンバーは、ナナ・バスコンセロス。こちらはブラジル人。いきなり南国で、北国の冷たいミゾレなんて見たこともさわったこともないだろう。
そこが音楽の不思議なところ。3人はみごとに「ヒースの丘」を共有している。
投稿者 yasushi_furukawa : 2005年10月28日 10:00
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