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2006年03月30日

My Favorite Things---John Coltraneと「海辺のカフカ」

[books ,ジャズ--jazz ]

My Favorite Things---John Coltrane
1960年10月録音
amazon

エリック・ドルフィとのコラボレーション(1961年)を経て
黄金のカルテットへとすすむその直前。

このレコードが名盤といわれるのは
その後、ライブでの定番レパートリーとなる
「マイ・フェヴァリット・シングス」の初演ということと
ソプラノサックスによるコルトレーン独自のモードの世界へ、大きく踏み出した記念碑としてだろうか。
最晩年の、長大なアドリブの洪水を知っていると、ここで聞かれるソロはかなり物足りない。
おまけに、黄金のカルテットに入れなかったアート・デイビスのベースは
ふらふらしていて、ちゃんとそこに座っていない。
それでも、僕はこの演奏がわりと好きで、よく聞いている。

村上春樹の小説「海辺のカフカ」で
カフカ少年が森をさまようときに耳にしていたコルトレーン。
その、先の見えないような混沌とした迷路のような音楽は
小説を読む僕の耳にも響いていた。
音楽が、小説の隠喩となっている、あるいは、お互いに空間を喚起するために助け合っている、そんな感じ。

 

「海辺のカフカ」
上→amazon、下→amazon

村上春樹の小説には、音楽がよく登場する。

「海辺のカフカ」でも、シューベルトの「ピアノソナタ-D.850」とかベートーベンの「大公トリオ」とか、
あるいはラディオ・ヘッドの「キッズA」とか出てきて、それぞれがその場面で効果的に鳴っていた。
そのなかでも、コルトレーンの鳴り方は僕にとっては、あまりにもリアルだった。ほとんど幻聴に近いくらいリアルに耳元で鳴っていた。

アフターダーク」での「ファイヴ・スポット・アフターダーク」については、以前も書いたことがある。その時にも「海辺のカフカ」のコルトレーンについて書いた。
あれから、1年半の間に、僕もこの曲を何度も聞いた。

それにしても、僕は、カフカ少年が聞いていた演奏は、このアトランティック盤の初演だと、なんの疑いもなく、今まで思いこんでいた。
しかし、先日、はたと思った。
カフカ少年が聞いていたのは、ほんとにこのレコードだったのだろうか、と。

コルトレーンの「マイ・フェヴァリット・シングス」といえば、実は、定番はこちらなのかもしれない。

Selflessness---John Coltrane
1963年7月(ニューポートジャズ祭でのライブ)、1965年10月録音
amazon

ニューポートでのライブだ。
こちらのソロは、先のアトランティックの初演と違って、たっぷり聞かせてくれて十分満足する内容のものだ。
こちらを聞いていたとしてもおかしくない、と、そう気がついた。
気がつくのが遅いという感じもあるが、そこでいろいろ考える。

果たして、カフカ少年が聞いていたのはどちらの「マイ・フェヴァリット・シングス」だったのだろうか?
あるいは、まったく別のヴァージョンだったのか?
なにせ、この曲のヴァージョンは沢山ありすぎて、それも困ったものなのだが
いろいろ考えた僕の結論は、やはりアトランティックの初演の方がふさわしいのではないかということ。

それは、
森をさまようカフカ少年には、
アート・デイビスのふらつくベースが、いかにもぴったりだし
ロイ・ヘインズのきまじめなドラムでは、どうもしっくりこない。
やはり、エルヴィン・ジョーンズの乱れ飛ぶドラムスの、あの不思議なグルーブ感が必要だ。
そして、なによりも、自らの世界に確信を持って演奏するニューポートのコルトレーンではなく、やはり、手探りで自分の音を探しているような、アトランティックのコルトレーンこそが、カフカ少年にふさわしいと思ったからだ。

答えはどこにもない。

あなたは、どちらだと思いますか?

<蛇足-1>
小説で、やはりすごいなと思うのは、その情景がリアルに見えてくるような時だ。
村上春樹の小説を読んでいて楽しいのは、まさに、その思い描く情景のリアルさにある。
小説の言葉が、大脳の視覚神経系の記憶を刺激して、まるで見ているかのような現象を起こすのだろうけれども、まさにマジックである。さらに、今回の話題のように、音楽が小説から鳴ってくることもあるから驚きだ。
これは、「妄想」の一言で片付けられるような現象ではないと、僕は考えている。
そして、そのマジックこそが村上春樹の世界の大いなる魅力であり、村上が僕らに示してくれている想像力の可能性なんだと思う。

<蛇足-2>
村上春樹カフカ賞受賞記念エントリー、というわけでもないのだが
この記事を書いている最中に。カフカ賞の受賞が報じられた。
不思議なものである。

投稿者 yasushi_furukawa : 2006年03月30日 10:00

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コメント

1963年7月に行われたニューポートJAZZ祭で、エルビンとは異なり
妙なロイ・ヘインズの細かいドラムをバックに、延々とSSを吹きつづ
けるライヴ盤がいちばん聴いたでしょうか。70年代のJAZZ喫茶でも、
このレコードがいちばん多くかかっていたような印象がありますね。

投稿者 Chichiko Papa : 2006年03月31日 16:55

ChinchikoPapaさん
記事中のクレジットが足りませんでした。
紹介している「Selflessness」こそが、
ChinchikoPapaさんがコメントされている、ニューポートジャズ祭のライブです。
本で読みましたが、昔ジャズ喫茶が盛んなりし頃、
一番リクエストされたレコードだそうです。
名演ですね。

投稿者 fuRu : 2006年03月31日 18:01

70年代前後、ジャズ喫茶でリクエストの多かったJohn Coltraneのアルバムと云えば"A Love Supreme"と"Selflessness"が双璧ですね。
新宿二幸裏のDIG辺りでは"A Love Supreme"の方が多く掛かっていたような気がします。

投稿者 iGa : 2006年03月31日 19:09

検索王のiGaさん こんにちは
1970年というのは、僕は7歳だから、小学校の2年生とかですね。
1970年代の音楽というのをwikipediaでみてみますと
http://ja.wikipedia.org/wiki/1970年代の音楽
1970年はあまりなじみのない曲が多くて、1971年になると急に知っている曲が出てきます。
小学生も3年生くらいになると歌謡曲に親しみ始めるのでしょう。
なんていうことを書いたのも、小学生低学年の僕にとって、
新宿のDIGなんて、世界の外のまたその外側だったんですよね。
五木ひろしの「よこはまたそがれ」が中心の音楽世界に住んでいたわけです。
でも、同じ空気はすっていたんですよね。
だから、何か感じるものがあると思っています。
ちなみに、僕は"A Love Supreme"は、にがて、です。
ぼそぼそ声で歌わなくたっていいのに、というのが正直なところです。
サックスのフレーズなんかは、メチャクチャかっこいいんですけれどもね。

投稿者 fuRu : 2006年03月31日 21:34

カフカ少年を取り巻いていた音楽。
残念ながら・・
全く分からないジャンルの音楽だったので
さらっと読んでいましたが
音楽が深く関わっていたんですね!
音楽も作品のメタファになっているんですね!
もしその音楽を少しでも知っていたら
もっと違った奥行きのある感想が持てるのかも。

次にもう一度読む機会があれば
音楽に触れてから読み直してみたいです☆

音楽と絡めて書かれているこの日記
とてもステキですね☆

いつか・・こんな感想を書けるようになりたいなぁと思いました☆


投稿者 ヘルミーネ☆ : 2006年04月01日 00:43

"Selflessness"が1963年、"A Love Supreme"が1964年の公民権法案成立の年、1967年7月17日にColtraneが亡くなり、翌年にはキング牧師が暗殺されている。そんな時代背景ですよね。ニューポートでの"My Favorite Things"はミュージカルナンバーの親しみやすさ逆手に取って、メロディーラインに哀しみや怒りや(多少は愛も)が込められ、或る意味、その時代の黒人の置かれた状況を写し取っていると思う。"My Favorite Things"では"怒り"の比重が大きいけれど、"A Love Supreme"では"怒り"が沈殿し、悟りと云うよりも諦観なのかな、本人は未だ麻薬に耽溺しジタバタしているしね。まぁ、40年前だから知的フィルターを通して"理不尽な怒り"を訴えているけれど、これが現在では"ラップ"でモロに表現するように変わってますね。村上春樹はいわゆる全共闘世代だけど、シラケ世代を先取りしているようなところが、Coltraneの"怒り"と"諦観"のアンバランス感覚とシンクロするのかな。

投稿者 iGa : 2006年04月01日 09:16

ヘルミーネ☆ さん
村上春樹は、自分の小説に様々な音楽を登場させますが
その音楽を知らないからといって、小説の価値が減少しちゃうというようなことはまったくありません。
音楽を知っているというのは、一つの楽しみ以上でも以下でもないというのが正解でしょう。
もちろん、小説を読んで音楽を聴くということだって、とても素敵な出会いだと思います。

iGaさん
>村上春樹はいわゆる全共闘世代だけど、シラケ世代を先取りしているようなところが、Coltraneの"怒り"と"諦観"のアンバランス感覚とシンクロするのかな
どうでしょうか。
村上春樹の初期の作品は、たしかにシラケ世代を先取りしているようなところが感じられますが
「ダンス・ダンス・ダンス」の後、4年のブランクの後の作品では
なんだか、途方もない方向に行ってしまっている、とてもシラケ世代などとはいえない世界がそこにはあります。
かなり深く入り込んだ、心のひだを探ってゆくようなその世界こそが、コルトレーンの世界に通じているような感じもします。さて、どうなんでしょうか?

投稿者 fuRu : 2006年04月01日 15:46

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