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2011年05月20日

「俳句入門」---寺山修司

[a-家づくりについて---house_making ,books ,d-ハーフビルド---half_build ,俳句---haiku ]

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「俳句入門」
著:寺山修司 光文社文庫
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いい俳句を詠みたいと思うならば先人の残した良い俳句を読むのが一番、ということで、いろいろな本で紹介されている俳句を読むことになるのですが、そのなかでも、はっ!とする句が時々あって、その作者は誰だろうかと気にすると、ここのところ寺山修司の名前によく出会うようになっていました。
寺山修司というと「田園に死す」とか、私の場合にはまずは鮮烈な映像作家としてあるのですが、実は高校時代に俳句の世界でその名を知られるようになったということはつい最近知ったのでした。
しかし、俳句から短歌へと定型詩でその実力を世に知らしめた寺山は20歳で俳句を詠むことを一切やめてしまいます。
その後の寺山の活躍は多くの人の知るところ。その活躍があってこそこうした高校生時代の俳句に関する原稿を集めた本も出版されることになるのでしょう。ですから、この本は「俳句入門」とありますが作句の本ではなく、若き(青森の高校生)のいささか青臭い俳句に関する批評的言説集。寺山修司という人物を深く知るための一冊というところでしょうか。

「俳句入門」を期待して読んでいたので、ちょっと肩透かしではありましたが、誰もが詠める大衆文学としての俳句というようなことを言う人に対して、俳人とはなにか?と問う寺山の問いかけが私の関心を呼びました。私が考える、住まい手参加の家づくりに共通した大きな問いかけがそこにはあるからです。

寺山は詩を吟ずるということは祭り事であり、詩人・俳人は祭司であるから、彼らが詩や俳句を詠むのは一般の人が詠むのとは違った意味合いがあるのだ、というようなことを言っています。
そういえば、家づくりも同じです。家づくりは祭り事であり、それを司る大工の親方は棟梁として神様に近い存在として家づくりの中心にいたのです。
現代社会になって、様々なものが変わったとはいえ、家づくりが祭り事であることは変わっていません。もちろん、住まい手参加の家づくり、ハーフビルドの家づくりも祭り事としてあるべきだと思うのです。その時に、昔の大工の棟梁が司っていた祭司としての役割を誰かが果たす必要がある。ひょっとして、ハーフビルドでの祭司は建築家か?いやいや、住まい手が自ら祭司となるのか。これは、ハーフビルドの家づくりを考えるときに忘れてはいけないことだなと思ったのでした。


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投稿者 furukawa_yasushi : 2011年05月20日 08:15

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