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2004年12月03日

Everybody Digs Bill Evans--Bill Evans

[ジャズ--jazz ,音楽--music ]

Everybody Digs Bill Evans : Bill Evans
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1958年12月15日録音。
ビル・エヴァンスは1958年2月から11月まで
マイルス・デイヴィスのグループに所属していました。
その時の記録はマイルスの「At Newport 1958」(→amazon
とか「Jazz At The Plaza」(→amazon
「1958マイルス」(→amazon
などで聞くことが出来ます。
そして、このレコードはマイルスグループ退団直後の録音ということになります。

ちなみに、ビルの最初のリーダー作は
「New Jazz Conceptions」(→amazon
1956年9月の録音ですから、二枚目のリーダー作となるこのレコードまで
2年以上もリーダー作がなかったことになります。
話によれば初リーダー作が一年間で800枚しか売れなかったとか。
それがどうしてマイルスに呼ばれたのか、なかなか興味深いところです。
その頃ビルはジョージラッセルの実験的な活動にも参加していましたから
それを聞き知ってビルを自分のグループに招いたと考えると、ちょっとわくわくします。
マイルスは1958年の2月に「マイルストーン」を録音していますから
その可能性を開拓する相棒としてビルを考えたのかもしれません。

しかし、マイルスグループでのビルはかなり辛かったようです。
メンバーからは「うちのボスは、どうして白人なんか雇ったんだ。」と言われていたように
ジャズの世界でも白人と黒人は一緒に演奏することは珍しかった時代だったのです。
客席からのヤジも相当だったよう。
そんな白人への差別的な雰囲気に、ビルはついにはついてゆけずにマイルスグループを退団したんだといわれています。

しかし、ビルがマイルスグループで経験したこと、あるいはマイルスとビルの出会いを考えると
このビルがマイルスグループに在籍していた10ヶ月という時間の意義を考えずにはいられません。
ただし、さきに挙げたビルが在団していた時のマイルスグループの演奏からは
ビルの弾く新鮮な(斬新な)演奏を感じることが出来ますが、1959年に起こる奇跡を導くまでには至りません。

その奇跡を予言的にかなりリアルに感じさせてくれるのが
このビルの二枚目のリーダー作の中に収録されている
「Peace Piece」なのです。

想像でしかありませんが、「マイルストーン」でモード奏法と言う新しい試みに挑戦したマイルスは
その後の展開に悩んでいたのではないでしょうか。
それで、ビルを自分のグループに呼んで一緒に仕事をした。でも、その花はマイルスのグループで咲くことはなく、退団したあとのビルのレコードであらわれた。それを聞いたマイルスは、次の大きな一歩のために再びビルを呼んでレコーディングに望んだ。
それが「Kind Of Blue」だと。

「よお、ビル。最近どうしているの?」
「いやあ、マイルス君。ぼちぼちでんな。」
「それだったら、こんなのはどうかな。」
ここでマイルスは口笛でひとつの音をピーと吹いてみるわけですね。
もちろん、それは「D」の音です。
「うむ、ガッテン承知のすけ。」
と、ビルが言ったかどうかはわかりませんがふたりの再会こそがすべてでした。

「Kind Of Blue」をめぐる、ビルとマイルスの関係は
考えるといろいろ興味深いものがあります。
そして、僕の興味がもっとも引きつけられるたのが
このビルが演奏する「Peace Piece」と「Kind Of Blue」の関係を想像してみることなのです。

それにしても、ジャケットに書かれているマイルスの言葉がいいですね。
「ビルってやつは、本当にピアノがそう弾かれるべきである、ってように弾いてくれるんだ。」
ピアノを弾かずにはいられなかったビル。
そして、ビルに弾かれずにはいられなかったピアノ。
そこに魂があります。
その魂についてはまた別の機会にふれたいと思います。

ちなみに、「Peace Piece」は
クロノスカルテットのために弦楽四重奏に編曲されて録音されています。
こちらもおすすめ。
Music of Bill Evans」(→amazon

ビル・エヴァンスとマイルスについての別の記事
COLLECTORS' ITEMS---Miles Davis

<追記ー2004.12.05>
ビルが最初にヴィレッジヴァンガードに出演したのが1955年頃。
MJQの前座みたいな扱いだったようですが、客席にはマイルスデイヴィスの姿があったそうです。
そして1958年頃、マイルスとジョージラッセルはお友達だったようで
当時、ドラッグにおぼれていたレッドガーランドの代役をマイルスが探しているときに
ジョージラッセルに「誰か良いのいないかねえ」なんて聞いたところ
ビルの名前が出てきて、マイルスも「そいつなら知っている」と答えたとか。
二人の出会いは、ある種の必然の結果だったのですね。
この記事を書いてから、ピーターペッテンガーという人の書いた「ビルエヴァンスーピアニストの肖像」を読み返していたら、そんなことが書いてありました。

投稿者 yasushi_furukawa : 2004年12月03日 09:55

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トラックバック時刻: 2004年12月05日 20:52

コメント

う〜ん、勉強になるなぁ、つづきが楽しみでっす。

投稿者 nozawa : 2004年12月05日 16:37

nozawaさん
那須の「殻々工房」に、ブルーなジャズはお似合いでした。
ああいう空間でジャズを聴けたらいいなあ。うらやましい。
我が家でジャズを聴くのは僕だけなので
イヤフォンつけて聴いています。
そんな素敵な空間から発信される
nozawaさんのジャズのエントリー楽しみにしています。

投稿者 fuRu : 2004年12月07日 10:23

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