« 「大きな暮らしができる小さな家」--永田昌民、杉本薫 | メイン | 「カインド・オブ・ブルーの真実」--アシュリー・カーン »

2005年03月17日

Kind of Blue---Miles Davis

[ジャズ--jazz ,音楽--music ]

Kind of Blue ----Miles Davis
1959年3月2日、4月22日録音
amazon

名作「Kind of Blue」は誰が作ったのか?

収録曲の「Blue in Green」が、実はクレジットとは異なりビルエヴァンスの作曲だったと言うのは既知の事実。しかし、作曲とはなにか?

「ジャズに名演あり、名曲なし」というのは誰がいったのだろうか。

このレコードに収められている曲は名曲だろうか?
名曲とは言えないと思う。
名曲とは誰が演奏しても、なにかが伝わってくるような曲だ。
このレコードの曲は、このレコードでしか生きてこない。

カインド・オブ・ブルーの真実」には、スタジオでの試行錯誤が描かれている。
まぎれもなく、ここに収められている演奏はコロンビア30丁目スタジオで生まれた。

このレコードの構想をマイルスが考えていた時に、彼の頭の中にはビルエヴァンスの名前があった。
ビルエヴァンスがいなくては実現しない、と、彼は考えていた。
では、このレコードはマイルスがビルとつくったのか?

マイルスのコロンビア時代になくてはならない存在がプロデューサーのテオマセロだった。
テオはマイルスの演奏を切り刻んで編集して世に出した。彼の手にかかり、マイルスの魅力は引き出され、レコードによってジャズは瞬間的に消えてしまう世界から解き放たれた。

では、「Kind of Blue」はテオがつくったのか?
しかし、今回ばかりは、まったく編集の手が加えられていない。
さながら、スタジオライブの瞬間のきらめきだったのだ。

このレコーディングの資金的なものはコロンビアレコードが出している。
では、このレコードはレコード会社がつくったのか?

たしかに、マイルスはバラードの名手として当時すでに人気があった。
ミュートプレイの美しさは他にかえがたいものがある。
マイルスのバラードは、そして、このレコードで聴かれるような形になった。
しかし、そんなこと、このレコードが吹き込まれるまで誰が予測出来ただろうか?
レコード会社にだってそんなこと予測できたはずがない。

ただ、言えるのは、ここにマイルスがいる、ということ。
そして、そこにマイルスがいるという意味は、このレコードを、マイルスが一人でつくったということでもないし、他の人を自分の手足のように言いなりにさせてつくったということでもない、ということ。

このレコードに「Miles Davis」と言うクレジットはあるが、クレジットの示す事と現場で起きている創造的な瞬間の食い違い。しかし、そこにマイルスがいなかったら、このような録音は出来なかっただろうという事実。

「もの」は、そのようにうまれるのだ、ということ。

「Kind of Blue」という名作が僕らに教えてくれることは、奥深い。

投稿者 yasushi_furukawa : 2005年03月17日 08:40

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://af-site.sub.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/420

このリストは、次のエントリーを参照しています: Kind of Blue---Miles Davis:

» 今日はMilesを聴け! from jm's myTaste
Kind of BlueMiles Davis Sony International 1997-03-25by G-Tools 1991年9月28日、その日一つ... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年09月28日 21:25

» Kind of Blue / Miles Davis | マイルス・デイビス from blog de rebrain
desert island disk 第2弾。 1959年録音のマイルスの名盤中の名盤、 カインド・オブ・ブルー。 おす... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年05月29日 13:01

コメント

う〜〜〜〜〜〜ん!!と唸ってしまいました。
深いな〜〜。・・・ってこんなコメントしか書けない自分がトホホですけど。

投稿者 kazoo : 2005年03月17日 10:24

kazooさん こんにちは
生前にマイルスは多くを語らず、自分がつくった音楽を聴け、と言っていました。
ようは、音楽について語る事の困難さと、決して語る事の出来ない音楽の種があるという事なんだと思います。
僕は、家を「つくる」仕事をしています。でも、実際にノコギリや金槌を手にしているわけではありません。家は誰が作ったのか?と聞かれれば、もちろん大工さんですと答えます。でも、それだけではない。僕がかかわることによって何かが変わる。そんな存在に僕はなりたいと思っています。
僕は音楽について語る事によってそういう事が伝えられるのではないかと考えているのです。
おやおや、自分で解説してしまいましたね。

投稿者 fuRu : 2005年03月17日 13:06

創造する人達って、「作品で」って言えるから羨ましいよな。なんて時々思ったりします。一杯思いいれあっても、やっぱ追いつかないもんね。
でも、でも・・・なんて思いながら書いてみたりしている悪あがき。
fuRuさんはやっぱ「作品で」って言える立場の方だから、その分新鮮だったりします。読ませてもらってる方は。
あ〜、うまく書けないけど。うん。

投稿者 kazoo : 2005年03月17日 19:37

kazooさん
>「作品で」って言える
だれそれ作、っていうのに対して「ちょっと怪しいぞ」と思っているものですから
マイルスのこのレコードをネタにそんな話をしようと思ったのです。
うーん、これは「作品」ってなんだろう、と言う話になってしまうのですが
それはまた、近々エントリーします。
ところで、kazooさんのブログ、創造的だと思うのですが
ご自身で気付いていない????

投稿者 fuRu : 2005年03月17日 19:55

>「ジャズに名演あり、名曲なし」というのは誰がいったのだろうか。

「ジャズに名曲なし。あるは名演のみ」だって!
ウッシシシ、それは俺の名言だ、バカヤロー! by巨泉

大橋虚宣じゃない巨泉のコピー(戯言)ですから、虚実半々てとこで。

そうとも言える。byクレヨンしんちゃん

ちなみに、巨泉はマイルスとは言わず、デビス、デビス、と言います。

投稿者 iGa : 2005年03月17日 22:34

iGaさん
フォローありがとうございます。
大橋巨泉でしたか。そういえば、そんな話を聞いた覚えがあります。
大橋巨泉はビリーホリディの自伝を訳していたりしていませんでしたっけ?

投稿者 fuRu : 2005年03月17日 23:13

ああ、そうか。私は共同作業も含めて「作品」で、その共同作業を纏める力も才能の一つと思っているのだけれど、中には「共同」の部分にあえて目をつぶって「己」のみを主張する「作品」のあり方を賛美する人もいるって事でしょうか。
それは、ちょっと貧しいっつうか、純粋に「個」ってのはありえない気もちょっぴり。
いや、純粋に「個」で作り出しても、過去からの影響やそんなこんなを考えるとね〜。
・・・ってポイントがずれているでしょうか。
ああ、私の所が創造的!fuRuさん、優しい〜。騒々しいのは間違いないですけど。くすん。たはは。

投稿者 kazoo : 2005年03月19日 10:05

kazooさん
>純粋に「個」ってのはありえない
その通りですね。僕もそう思います。
とすれば、純粋に「個」でない意識というものはなにか?
その「個」と「個」はどうして通じ合えるのか・・・・。
うーん、頭がぐるぐるしてきた。
そのへんを、マイルスや音楽のことを通して言葉に出来ないかなと試行錯誤しているのであります。

投稿者 fuRu : 2005年03月19日 14:01

コメントしてください




保存しますか?